最近読んだ本:ミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』稲葉振一郎『政治の理論』岡田与好『独占と営業の自由』

久しぶりに読んだ小説がこれで、満ち足りた時間だったといえばそうだったのだが、ウェルベックは一冊読むと、もうしばらく読まなくていいなという気分になりもする。ポスト・ヒューマンの世界というか、人間と欲望という重要な問題を扱っており、やはり構想力が鋭い。

政治の理論 (中公叢書)

政治の理論 (中公叢書)

稲葉先生のこちらは、共和主義を全面に押し出し、「政治」の理解を方向転換させようとするものとして、極めて興味深く読んだ。財産所有デモクラシーの構想とも言えるが、労使関係や資本主義の問題をまともに考察すれば(というか最新の経済史の考察を前提にしながら)、どのように「政治」を語ることができるのかという点で意義深い。西洋政治思想史における共和主義思想史にコミットする人は、僕も含めて、あまり現代資本主義の問題を見据えていないようなところがある(印象にすぎないかもしれない)。資本主義が生み出す格差や、新自由主義のもとに展開される人的資本論労働組合の破壊など、共和主義的な土台を掘り崩す諸論点が噴出しているにもかかわらず、だ。例えば、ネグリはかつて構成的権力を扱う中でハリントンに着目していたが、ハリントンは土地所有を基盤に共和主義を構想していた。共和主義的市民やあるいはアレント的な活動する市民・主体を可能にするためにこそ、ある種の再分配や労使関係の整備などが説かれる。

こちらは社研の岡田先生の圧倒的名著。独占禁止法は、自由主義に一見すると反しているようにみえる。法によって企業の自由な契約を規制するからだ。営業の自由の貫徹は、当然、独占禁止法とは矛盾するようにみえる。しかし、実際の所、アダム・スミスら初期自由主義者は、反独占主義者とでも言えるものであり、王権によるギルドや特権の保護(という独占)のあり方を厳しく批判したのであった。自由な行為の結果結ばれる独占契約は、しかし市場という自由の秩序を破壊しかねない。つまるところ、消費者の選択肢を広げ、公正な価格でものを購入するという自由は、営業の自由の帰結によって生じる独占と矛盾するが、しかし前者の自由の秩序のためにこそ後者の独占は禁止されるべきものだ、というのが初期自由主義の論理であった。その後、労働者の団結-独占が、今度は雇用者の営業の自由と係争関係にいたることになるが、今度は自由主義は前者の独占を、労働者の自由な労働のために容認するようになる。このように、自由主義というのは、単に国家の非介入ということではなく、一方の自由を保障するために、他方の独占を禁止したり、あるいはその逆、というように、社会の諸勢力や利害団体の葛藤に応じて、国家権力によって自由の秩序が保障されるべきことを主張する思想なのである。こうした岡田先生の見方は、日本の憲法学者との論争に至るが、例えば手元にある樋口陽一憲法』を見ても、自由な行為によって引き起こされる何らかの帰結が、全体としての自由の秩序を破壊しないように、それを規制する、という論理を用いていることが散見される。
こうした見方は、国家と自由/市場/私的領域の関係を再考するに十分な契機を与える。オルドー自由主義自由主義たるのは、国家が自由市場を構成するというモーメントを重要視しているからだ。彼らは、自由市場の保全のために、労働組合の組織なども必要だとさえ解くに至っている。新自由主義との比較に値する重要な論点。