'11読書日記85冊目 『君は永遠にそいつらより若い』津村記久子

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

254p
総計25226p
まずタイトルに勢いがある。ロキノン系の若手新人バンドがつけそうな、というと語弊があるかもしれないが、少なくともサンボマスターとかチャットモンチーの歌詞の中には出てきそうな雰囲気がある。しかし、タイトルがほのめかす勢いや青臭さのようなものは、小説の世界で裏切られることになる。主人公は22歳、処女のホリガイ。「自分に会いたいと思う人などこの世にいないだろうと思いながら生きてきた」女子大学生だ。しかし、彼女はただ単に孤独を鬱々と享受するのではなく、世界をユーモアをもって眺めることができる。世界を呪詛しながら、世界を独特のユーモアに置き換えることができる。彼女は自分が22にもなって処女である事にある種のコンプレックスを持ってはいるが、それに支配されているわけではない。処女である事もまた、彼女の人生をユーモアに満ちたものにする一つにすぎない。

わたしは二十二歳のいまだ処女だ。しかし処女という言葉にはもはや罵倒としての機能しかないような気もするので、よろしければ童貞の女ということにしておいてほしい。やる気と根気と心意気と色気に欠ける童貞の女ということに。誰でもいいから何か別の言葉を発見して流行らせて、辞書に載るまで半永久的に定着させてほしいと思う。「不良在庫」とか「劣等品種」とか。「ヒャダルコ」とか、「ポチョムキン」とか、そういうのでもいい。何か名乗りやすいやつを。

しかしながら、当然、ユーモアは世界からの疎外の裏返しでもある。ユーモアが機能するためには、自我が世界に対して対自的でなければならない。世界と一体になってそこに撞着し吸収されあるいは呼応し享受する者は、つまり世界に即自的にある者は、ユーモアの感覚を持つことができない。ユーモアは自我を世界から切り離したところにおいてはじめて可能になる。しかし、ホリガイの対自的な意識は、得るべくして得られたものではなく、世界の圧倒的な暴力性に直面したことで得られたものだ。ホリガイは児童虐待リストカット、少女暴行といった暴力に満ちた世界を生きている。彼女は、暴力に満ちた世界をなんとか、すんでのところで、ユーモアを持って生きている。そのユーモアは現実を諦観しそこに敗れ去った者のアイロニーではない。彼女の世界に対する距離の取り方は、アイロニーではない。それはむしろ現実を積極的に変えようとする者の見せる、なかばドンキホーテ的な蛮勇であり、そこにユーモアが宿るのだ。
なまぬるい日常を、自虐的に描いて見せる凡百の小説とは違って、この本には倫理や正義がある。だが、そうした青臭い正義感をやたらと振り回ししらけさせるような小説ではまったくなく、むしろそれに自覚的であり、それを相対化することの証左としてユーモアが、ある。