17.10.25

小雨。また台風が近づいてきているらしい。
4限に市野川先生ゼミ。R. Koselleck, Vergangene Zukunftの中から、"Vergangene Zukunft der frühen Neuzeit"を読む。難しい。Prophetie → Prognose → Fortschrittと、歴史の意味論が変化していくということなのだが、「進歩」の収まりが悪い。「進歩」を包含するのは、近代の歴史哲学だと言われるのだが、歴史哲学というのが、一般的に想起するようなものとずれてしまう感じがする。一般的に想起するというのは、例えばヴォルテールやヘルダー、カント、コンドルセヘーゲルあたりなのだが、コゼレックは、ディドロロベスピエールにそれを代表させる。そして、そのメルクマールをUnbekanntheitとBeschleunigungに求めている。このメルクマール自体も、論文内で整理されているようには見えず、かなり考えてみないとわからないし、市野川先生がある程度解説してくれたのだが、それでも今ひとつ釈然としない。この論文自体、69年のもので、Kritik und Kriseが73年なので、アイデアの萌芽と言えばそれまでなのかもしれないが。
ちなみに、Vergangene Zukunft、「過ぎ去った未来」について。
「私のテーゼを先鋭化させて定式化するなら、〔1500年から1800年までの〕この数世紀において重要なのは、歴史の時間化〔eine Verzeitlichung der Geschichte〕であり、その終わりには私たちのモデルネを特徴づける、特殊な加速化が生じた。そこで、我々はいわゆる初期近世の特色を探求する。その際、当時の人々にとっての未来から明らかになる側面、簡潔に言えば、過ぎ去った未来に、探求を限定することにする。」(S. 19)

Vergangene Zukunft: Zur Semantik geschichtlicher Zeiten

Vergangene Zukunft: Zur Semantik geschichtlicher Zeiten