'15読書日記16冊目 『自由という牢獄』大澤真幸

ミヒャエル・エンデの小説に『自由の牢獄』という短編があるが、本書はまさにその短編を媒介にして現代社会における自由の困難さを理解するところから、議論が始まる。自由はこれほどいたるところに充満しているように感じられるのに、選択肢の数は膨大に増えているのに、にもかかわらずいっそうむしろ不自由さを感じてしまうのはなぜなのか。この問いを、「責任」・「公共性」・「資本主義」との関係で論じ進めていき、自由という牢獄から哲学的に自由を救出しようとする本なのだ。『<自由>の条件』という数年前に出された本は、僕が最も好きな本であり最も影響を受けた本なのだが、本書の問いもそれに合い通じるところがたくさんある。根源的な偶有性に自由を見出すということ、このアイデアに非常にのめり込んだ時期があった。
本書の出版イベントで東大駒場で市野川先生と筆者の対談があって参加してきた。市野川先生がサルトルの自由概念とどう違うのかと問題提起し、それに大澤先生が答えるという前半から、自由と平等(社会的なもの)の関係を巡って議論がなされた後半まで、非常にスリリングな対話であった。