'15読書日記41冊目 『真理と方法』ハンス・ゲオルク・ガダマー

真理と方法〈1〉哲学的解釈学の要綱 (叢書・ウニベルシタス)

真理と方法〈1〉哲学的解釈学の要綱 (叢書・ウニベルシタス)

真理と方法 II 〈新装版〉: 哲学的解釈学の要綱 (叢書・ウニベルシタス)

真理と方法 II 〈新装版〉: 哲学的解釈学の要綱 (叢書・ウニベルシタス)

真理と方法〈3〉 (叢書・ウニベルシタス)

真理と方法〈3〉 (叢書・ウニベルシタス)

某ゼミで1年かけて読んだ。長い。が、勉強になり、かつゼミの雰囲気がとてもよかったので楽しい読書になった。
解釈学の方法論の話が中心なのだが、ガダマーが最終的に提示しているものは、それはいわゆる「方法論」とは異なっている。ガダマー曰く、19世紀ドイツの歴史主義以降、人文科学も自然科学を目指すべきだ、自然科学のような方法論にそって行われなければならない、とする思潮が支配的になった。人文科学も客観主義に立たなければならないという主張だと言い換えてもよい。こうした趨勢は、人文科学の地位低下を前に、独立した領域を確保しようとするモチヴェーションを伴っていた。これに対して、ガダマーはそのような客観主義・科学主義の立場に立つ「方法論」は人文科学独自の――自然科学とは異なる――真理を矮小化しているのではないか、と本書を通して一貫して主張する。科学主義的な方法論の根底にあるのは、ある一定の手続き(例えば実験や観察の手続き)にしたがえば、いつでもどこでも誰でも「真理」に到達できる、という前提である。こうした前提は、科学においては正しいかもしれない(しかし実はそうでもない)が、人文科学において、例えば歴史学において、こうした方法論に基づけば「真理」があたかも自動的に産出されるということがあるだろうか、そんなことはないだろう、というのだ。ガダマーが言う「真理」というのは、ハイデガー経由のものであり分かりにくいが、僕的にすごくざっくり言い換えれば「しっくりくる」ということである。つまり、あるテクストの解釈において「しっくりくる」こと、この「しっくりくる」感じは、科学主義的な方法論によっては捉えられないだろう、とガダマーは言っている(ようにみえる)。
『真理と方法』が大著なのは、こうした主張をガダマーが思想史を振り返りながら論じているからである。そもそも「人文科学」「精神科学」とはどのようなものだったかを、プラトンアリストテレスまで遡り、科学主義的な真理観とは異なる、修辞学的伝統に基づく真理観を確かめようとする。それは次第次第に科学主義的な真理観(真理の対応説と言い換えてもいいが)に置き換えられていく。科学主義的真理観というものが、普遍命題と個別事例の関係にもとづいているとすれば、修辞学的真理観は個別事例を通してのみ理解可能な何かを前提にしている。前者が普遍命題の「正しさ」とそれを確認する個別事例の関係であるとすれば、後者は「正しさ」ではなく「適切さ」「ふさわしさ」が問題になっている。「適切さ」や「ふさわしさ」はあらかじめ「正しい」命題のなかに事例を包摂するのではなく、事例に出会うたびごとに理解されるしかないものである。こうした修辞学的伝統が科学主義的真理観に置き換えられる流れを完成させるのがカントである。カントは純理・実理を通して、自然と道徳の科学化あるいは自然学と道徳学の基礎づけを行った。しかし、カントにおいても修辞学的伝統はある種生き残っている。それはしかし、「趣味」の領域、つまり「美学」(判断力批判)の領域に押し込められてしまう。「趣味がいい」、「ある対象が美しい」というのは、個別事例に出会うたびごとに下される判断であり、あらかじめ良い趣味の条件、美の条件があるわけではない。本当にそうなのかと思う人もいるだろうが、良い趣味や美の条件を知っていれば、それでは誰でも良い趣味の物や美しいものが作り出せるかどうかを考えて見ればいい。芸術作品が芸術作品足りえる条件を知っていて、さらに制作のための技術も持ち合わせているとしても、誰もが美的な作品を作り出せるわけではないだろう。こうした趣味判断は伝統的には道徳的判断(アリストテレスのフロネーシス)と共通していた構造を持っていたのだが、カントは両者を切り離した。カントは個別事例において美しいと判定される芸術作品を作り出せる人を天才と呼んだ。修辞学的伝統における「適切さ」や「ふさわしさ」は、カントにおいて自然や道徳に(少なくとも直接)関わるものではなく、美学の領域に閉じ込められてしまう。ドイツではこの天才美学をロマン主義者が受け継いでいく。ロマン主義特有の天才崇敬は、次にシュライアーマッハー流の主観性の解釈学に受け継がれる。シュライアーマッハーは天才が書いたテクストを解釈するには、作者の内面と同一化し、天才のいわば主観性を捉えなければならないとする。ガダマーはここに、歴史主義の生起の瞬間を見出す。
ガダマーは歴史主義が陥った客観主義の源泉に、シュライアーマッハー流の主観主義を見ている。このように書くとパラドキシカルに聞こえるが、前者において、テクストの作者の主観性に「正しく」到達するための準則が用意されており、この準則にもとづいて解釈を客観化することが目指されたのである。ガダマーはこうした歴史主義の乗り越えのために、ハイデガー存在論、とりわけ現存在の時間構造の議論を持ち出してくる。こうした思想史の独特の見方にもとづいて、有名な「地平融合」や「対話としての解釈」という議論が出てくる。上記の本で言えば第二分冊に当たるところだが、僕としては第一分冊のカントまでにいたる思想史の理解がとても興味深かった。第三分冊は、歴史解釈から言語へと議論が深化していく。歴史的存在者である我々は言語外の真理には到達できない。言語を通じてのみ真理は生起し、真理が我々に適用される(我々が真理を適用するのではない)。ヘーゲルとの両義的な関係、ハイデガーの議論は丸まま飲み込んでしまっているのか、といったこともややこしい話なのだが。
思想史の方法論についても関心がある僕としては、非常に面白くある種影響を受けたと言ってもいいかもしれない。

シュライアーマッハーの解釈学は解釈学史の真の転回点となったが、その正しい背景を知るために、ある考察をしたい。この考察はシュライアーマッハーにおいてどんな役割も演じておらず、そして、彼以後、解釈学の問題設定から完全に消滅したものである[...]。その考察の出発点となるのは、「理解とは、まず、相互に理解し合うことである」という命題である。理解とは、まず、合意である。人間相互はたいてい直接理解し合うか、あるいはまた、合意が得られるまで意思の疎通を行う。だから了解とは、いつも、あることについての了解である。互いに理解するとは、あることについて互いに理解することである。[...]「あること」は、単にもともと任意に選べる(だから相互の理解がそれとは関係なしに進展するような)談話の対象なのではない。むしろ、それは相互理解そのものの道程であり目標なのである。[...]理解がそれ独自の課題になるのは、二人の人間が意図されたことをともに意図している(つまり、共通の事柄を意図している)、この素朴な生が妨げられたときなのである。誤解が生じたり、あるいは、表明された意見が理解し難いものとして疎外されたりしてはじめて、意図された事柄に生きる素朴な生は妨げられる。つまり、意見が意見として、すなわち、他者または「あなた」またはテクストの意見として、固定した対象になる。[...]理解の本来の問題が持ち上がるのは、明らかに、内容の理解への努力にもかかわらず、「どのようにして筆者はそのような見解に至ったのか」という反省の問が生じてきた時である。というのも、そのような問いはまったく別種の異質性を示しており、結局は共通の意味の放棄を意味しているというのは明白だからである。(第二部・第一章・第一節・a・α)

テクスト解釈においてその意味を作者の意見に還元することは、歴史的出来事を行為者の意図に還元してしまうのと同じように不適切である。/あるテクストがひとつの答えであるような問いの再構成は、歴史学の方法論のみの成果と見なすことは、もちろんできない。むしろ、最初にあるのは、テクストが我々に投げかけてくる問い、つまり、伝承の言葉に心が捉えられることであって、伝承の理解はいつもすでに現在が伝承と自らを橋渡しするという課題を含む。したがって、問いと答えの関係は実際には逆転している。我々に語りかける伝承物――テクスト、作品、痕跡――がみずから問いを立て、それによって、我々の考えを未決状態に置く。我々に立てられたこの問いに答えるためには、我々は問われている者として自ら問い始めない訳にはいかない。我々は伝承されたものがその答えとなるような問いを再構成しようとする。しかし、この再構成は、それとともに指示されている歴史学的地平を問いによって超えてでなければ、全く不可能であろう。テクストが答えとなる問いの再構成そのものが問うということである。こうして問いながら、我々は伝承から投げかけられた問いへの答えを探し求めている。[...]歴史学的地平は、問いつつ、また伝承の言葉に捉えられている我々を包み込んでいる地平によって、さらに包み込まれているのである。/その限りで、つねに単なる再構成以上のことをしているのは、解釈学的な必然である。筆者にとって自明で、その限りで筆者によって考えられていないことを考え、問いの未決性のなかへと入り込むことは、解釈者にとって絶対に避けられない。こういったからと言って、恣意的な解釈をはびこらせようというのではない。解釈において常に起きていることを明確にしただけのことである。[...]「歴史学的な」問いが単独で現れるということは、いつもすでに、その問いがもはや問いとしては「生じ」ていないということである。その問いはもはや理解しない態度の結果として残った産物、そこで立ち止まっている迂路である。これに対して、真の理解は、歴史的過去の諸概念を、それが同時に解釈者自身の概念的理解を含むような仕方で取り戻す。このことは先に、「地平の融合」と名づけた。(第二部・第二章・第三節・c・β)