09読書日記65冊目 『政治学』アリストテレス

政治学 (西洋古典叢書)

政治学 (西洋古典叢書)

ゼミ合宿で読む本。古代ギリシア哲学関係をちゃんと読むのははじめてかも。あ、プラトンの『饗宴』は読んだか。どちらかというと、今で言う政治制度的な話が多くて、ちょっと飽きちゃったところもあったが、比較的分かりやすく、アレントを読んでいたせいもあって、基本的なところは面白く読めた。

「国家は自然によるものの一つであり、そして人間は自然によって国家的(ポリス的)動物である」という金言は本当によく知られているが、その背景にあるアリストテレスの人間観がどれほど認知されているかは怪しいものだ。アリストテレスはポリスにおける公共的な活動、つまり共同体の政治過程に参加することで、「よく生きる」ことができると言う。例えば、誰かの一方的な支配を受け続けたり、その逆に誰かを支配し続けることは、「よく生きる」ことではありえない。というのも、人間の同質的な平等が前提となっていれば、支配だけ、被支配だけのいずれかの状態では、人は「神」か「奴隷」(野獣)かであるほかはなく、「善と悪、正と不正、その他を知覚できるという」人間の自然的性質を放棄してしまっているのである。もちろん人間が全知全能の神であることはありえないし、そのような神=王の支配は、すぐにでも僭主制へと堕落してしまうであろう。基本的な主張は、ポリスの中で、支配し・支配される関係へと市民が参加できることこそが、最善の国制だということなのである。興味深いのは、そのような市民の活動が可能であるためには、ある程度の財と閑暇(スコラー)が必要だするところである。農業や製作に没頭して公共的な交わりへの時間がないという場合、その人は自らの徳を鍛える機会を失っており、ある意味で堕落の形式だと捉えられる。

ところで、アリストテレスは公共的な活動に参与することによって人は有徳となり、国家も有徳となる、ということを繰り返すのであるが、そこでいわれる徳とは「無条件的」なものだといわれる。「無条件的」とは、「条件的」と対比される概念である。「条件的」に優れている、ということは、ある条件下で必要不可欠な行為に対する評価である。例えば、職人の製作行為や農民の作業というものは、製作物や収穫という目的に対して行われるという条件下で必要な行為であり、その時においてのみ優れている、ということができる。しかし、一方、幸福とは徳の「無条件的な」活動である、と言われる場合の活動とは、名誉や繁栄のためになされる正しい行為を指し、「善きものを確立し、生みだす行為」だとされる。ここで参考になるのが、神の幸福についてのアリストテレスの考察である。「神は幸福であり、至福である」のだが、それは「なにひとつ外的な善によらずして、ただ神みずから自身」で内的に(すなわち魂の内で)有徳であるからだ、とアリストテレスは述べている。ここで言われている神の幸福は、すぐに看取されるように、「無条件的」な「魂における善きもの」なのである。

以上のようなアリストテレスの人間観はアレントにも多大な影響を及ぼしてきたし、共和主義の系譜のまさに源流となるものである。このように大切な本が、どうして岩波で絶版になっているのか理解しがたい。おかげで京大出版会の4200円するものを(古本でだが)買わなければいけなくなってしまった。それはそれとして訳者である牛田徳子さんの解説は抜群に良い。

468p
総計21808p

他に読んではる人
http://d.hatena.ne.jp/tdkr/20090816/1250444973
http://d.hatena.ne.jp/antiauthoritarianism_rosso_neri/20080912