6-12

9
午後四時、鹿児島の祖母急逝。享年79歳は早過ぎる。8年間ガンとの闘病生活を続けてき、入退院を繰り返してきた。月曜に自宅介護から再び入院するということになり、入院する前に電話して励ましたのだったが、僕の力はおよばなかった。もう十分苦しんできたし闘い続けて疲れてきたのだと思う。祖母の痛みや困難を分かち合うことが出来なかったのが悲しい。しかし、もっと生きていて東京にも来て欲しかった。3月に帰ったとき、二人で病室で泣きながら思い出話を長くしたことが思い出される。バイト。
10
昼の飛行機で鹿児島へ。鹿児島空港に着くと、僕の祖父母くらいの老夫婦が誰かの出迎えのために二人寄り添って立っていた。僕も小さい頃から一人で鹿児島に来ると、祖父母は同じように待っていてくれ、到着ロビーに僕の姿が見えると満面の笑みで迎えてくれたものだった。その祖母はもういない。家に着くとちょうど納棺の前で、死化粧をしてもらっているところ。ピンクの着物も美しい。横たわって安らかに眠っている祖母を見ると泣けてくる。訃報を聞いても実感がなかったが、横たわっている祖母を見ても、なおさら実感がわかない。今にも起き上がって僕の名前を呼び、よく来てくれたねと言い出しそうだ。夕方には叔父一家も来て祖母を偲びながら酒を呑む。10年ぶりくらいにあった従兄弟たちとも話が弾む。祖母が生きていたらどれほど喜んだだろうか。ついつい痛飲し、電話をかけてしまったり、しょうもないメールを送ったりして自己嫌悪になる。どちらも返答はなく、余計に辛くなる。金土とバイトは休みにしてもらっている。
11
激しい雨・風。夕方から通夜。素晴らしい葬儀場で祖母を想った人たちもたくさん着てくださる。祖母の人徳なのだろう。見知らぬ親戚に挨拶をしているだけで疲れる。葬儀場には、祖母の遺志で「千の風になって」がかかっていて、よく雰囲気にあっている。僕にとって三度目の葬儀が祖母になるとは。通夜の最中にずっと「忘れること」について考えていた。「忘れること」は、「憶えていること」よりも価値が低くて、人は誰からも忘れられることを恐れる。あるいは人は何か/誰かのことを忘れてしまうと後悔する。いつも僕を見守り励ましてくれた祖母のことをずっと覚えていたいし、僕さえ祖母のことを忘れなければいいとさえ思う。だが、「忘れること」で忘れられてしまった人が存在しなかったことになるということでは断じてない。人は覚えていることよりも忘れていくことのほうが圧倒的に多い。しかも記憶するものと忘却するものの選別は、自分の自由になるものではない。「忘れること」こそ、人格の核にあると言ってもいい。忘却された思い出が澱のように溜まっているところに記憶が打ち立てられる。そしてその記憶さえ賽の河原の石のように、積み上げたと思っていてもいつの間にか崩れて淀みのなかに消えていくものなのだろう。この一ヶ月くらい別れた人には連絡を取らなかったのに、不意に心の動揺から連絡してしまった(が連絡は帰って来なかった)。忘れていくことを僕は恐れた。忘れることが自分を作ってきたし、思い出に上ってこないような澱みの中から、新しい自分が作られていく。のにも、かかわらず。
12
昼から告別式。坊主の読経のとき眠ってしまう、がよく見れば親族も結構寝ている。そのようなものだ。いつも読経の時はそうだ。通夜のときには泣かなかったが、8年間祖母の闘病をほとんど一人で支え続けた祖父のスピーチを聞き涙があふれる。祖母が生前に詠んだ短歌「いつの間に/夫に譲りし/家事増えて/ありがとうの日々/笑顔で返す」。祖父は気丈に振る舞い、喪主として役割を十二分に果たし疲れたことと思う。出棺の前、棺桶の中に花を入れるとき涙が止まらなかった。これが最後の別れになると思うと、やりきれなかった。火葬場にいき、親戚の集まりから外れて一人で煙草を吹かせながらぼんやりと様々のことを思っていた。祖母のこと、そして別れた人のこと。祖母が骨になってもまだどこかあたりの空気の中にふわふわと漂っていて僕を見守ってくれているような気がする。魂になったら痛みから解放され、もっと自由になって東京まで旅してきてくれる。祖母は鹿児島に終生住み続けた。昨日までの激しい雨が止んで何とかもっている曇り空。火葬場の高台からは鹿児島湾が見え、鹿児島という土地と祖母が生きたということを深く強く感じた。葬儀の一切が終わって、母の弟一家と八人で家に帰り、この二日間、いや祖母を支えた八年間の労を慰めあう。祖父は上機嫌でたくさん飲んで、僕より二つと四つ下の従兄弟たちとも賑やかに話す。お開きになって、飲み過ぎのぼうっとした頭の中には別れた人のことがあった。一昨日連絡したことを後悔しつつ会いたい、話したい、声を聞きたいとの思いが募ってくる。祖母にはもう会えない。別れた人は、しかし、まだどこかで生きていて、連絡先も知っている。しかし、別れた人に話したいといっても話すことがなにかあるわけでもなく、会いたいといってもうまくいかないことは分かっているのだ。それでも、話すことなど見当たらないのに声が聞きたくなり、うまくいかないことを知っていても会いたくなる。疲れた頭は同じところを堂々巡りし、そのうちに眠っていく。眠りに落ちて行く直前に祖母の顔が浮かび、どうにもならないことを求めてもしようがないのだよと諭されたような気がした。眠くなるということは、どこか忘れることに繋がっている気がする。サリンジャー「エズメ」を思いだす。

You take a really sleepy man, Esmé, and he always stands a chance of again becoming a man with all his fac—with all his f-a-c-u-l-t-i-e-s intact.
本当に眠気を感じる人はね、エズメ。いつでもチャンスがあるのさ、再び自分の、自分の機能が完全に元通りになるチャンスがね。