10-5

1
"OccupyWallStreet"というデモがNYで行われているということをサスキア・サッセンのtweetより知る。コーネル・ウエストはこのOWSをアラブの春アメリカに伝播したものだと解釈している様子。facebooktwitterなんかでデモへの参加を呼びかけているらしい。僕はバイト。
2
明け方twitterで某クィア運動家の方とちょっとしたやりとり。松浦大悟という国会議員に対してその方が罵倒めいた事を投げかけていたことについて。その方のtwitterの紹介文には

「批判をする/されること」は、人格否定や好嫌いとは関係ないです。反対意見による検証を拒否した陰口や噂の流布は、人にも場にも失礼な不当な暴力なので許しません

と書かれていて、僕はそこにひっかかりを感じる。「このひとは、単に頭の悪いバカ、にしか、思えないw」であるとか「ゲイ男性には、本当に頭の悪いバカが時々いて、うざい。他のゲイの人たち、何とかしておくれw」というような物言いはよく分からないし、ついていけない。そのことについて聞くと

(1)松浦議員(権力者です)に対しての基準と、それ以外の人への基準とは、違いがあります。(2)罵りと批判とは、必ずしも同じではないと思います。(3)松浦議員は、罵っていいと思います

との返信をいただく。それに対して僕は次のようにコメントした。

了解しました。丁寧に答えていただきありがとうございます。ただ***さんが(1)と(3)の様に結論され「単に頭の悪いバカ」「阿呆」と罵られることについていけない(いく気を失う)人もいると思うのです。もちろん***さんが松浦議員を批判してきた歴史もあると思いますが、TL(フォロワーは615人います)でその罵倒を目にした人には、そのような歴史を知らない人も多いと思うのです。それは「活動」としてどうなのでしょうか。

僕にはたとえ権力者への罵倒であっても、その罵倒を目にした(この問題に少しくらいしか興味がない当事者ではない)人が、<活動>に対してうんざりするのではないかと思う(というか僕が少々うんざりした)。それに加えて「ゲイ男性には、本当に頭の悪いバカが時々いて、うざい」という風に、「ゲイ男性」というラベリングを用いた言及にも疑問を感じる。活動家であるならば一般にその問題に興味がない人をも巻き込んでいくことが重要なのだと思うのだが、こうした罵倒や無意味なラベリングは逆効果でしかないのではないか。僕の上のコメントに対してその方は

「最もスマート」ではないことは承知しています。でも所詮Twitterですし、松浦議員は私の10倍の6000人以上のフォロワーがいるので、まあいいか、と判断しています。

とも返信を頂いた。もちろん権力者への罵倒が有効な場合もあるのだろう(例えばその罵倒を聞いている人らをアジテーションしたり?)。だが、それが有効であるのは、その権力者に対して批判的なスタンスを共有する人らの間である限りでしかないのではないか。批判でさえない罵倒を、単にそれがマイノリティの側から、あるいは抑圧されている人らの側から発せられているからといって正当化することはできない。それに加えて、その活動家の方のフォロワーは600人を越している。「所詮twitterです」という感性が僕には単純に驚きだった。実際の運動において600人も動員することができるだろうか?
この方は以前に

やっぱり東大に行くような人って、制度的なものによって自分が守られたり、自分が特権を持っているっていうことを「当然のこと」だと思っているのかもなぁ。直接のやりとりの中での言動が一体どれだけ偉そうなもの言いだったか、自分では気が付いていないんだろうなぁ。

とツイートされていたことがあり「東大に行くような人って」という部分にやはり反感を覚えたことがあった。敵対・批判する相手のアイデンティティの一部を取り出して、何らかの否定的言明をするのは一番やってはいけないことなのじゃないかと思うのだが。
夕方からブリジストン美術館へ。思った以上に収蔵作品がしっかりしていて見飽きなかった。少々バタバタとしながらひと通り見まわる。絵を描いている人と一緒に行って色んなコメントを聞くことができてすごく楽しかった。ボナールの絵に興味を覚える。のあと京橋から新宿へ移動し、カレーを食べる。彼の身の上話を色々聞かせてもらう。もしかしたら失礼なことを聞いちゃったのかもしれないとあとで少し後悔。
夜、大阪からIが(急に休みをもらえたらしく)泊まりに来る。一緒に「バーン・アフター・リーディング」を見るも、残念な映画であった。30歳になったらトークショーをするべく、僕らは偉人にならなくてはならないとかウンタラカンタラ
3
昼まで寝てしまったのを取り返すべく東京散策。駒場から渋谷、表参道、原宿と歩きまわる。ちょっとした告白もしたり。相変わらず面白い友達で、終始楽しく・熱意にあふれた時間を過ごした。噂のjinsで5000円のメガネを買うが、メガネをつけると頭が痛くなるのでもう一生付けたくない辛い。責め苦である。のあと御茶ノ水に移動しkと合流し焼き鳥を食べながら「いやー、つて増やさなアカンでー」などと言いあったり「何か書こ、何か書いていかなあかんやろ。12月末締め切りで雑誌書こ」などと修士論文のことなどを灰燼の中に置き捨てて語らう。アルコールと日中歩きまわったせいで死ぬような眠気の中を帰宅。しばらくして内定式で東京に来ていたTが家にやってくる。彼が来るといつも壊滅的な面白さと狂気をもたらすので、ほとほと疲れる。久しぶりにあっても久しぶり感が無くて素晴らしいことだ。三人でメキシコ麻薬戦争の記事を呼んで戦慄し、レイマルというAV女優を僕が紹介したりなどしてこちらも戦慄あるいは笑い死ぬ。
4
Tを渋谷で見送ったのち、修士論文に着手。一気呵成に7000字書いてしまう。いけるような気がしてきたぞおおおお(過信)。夜遅くskypeウイスキーを飲みながらだったので、何を喋ったのか覚えていない。 
5
昼遅く起きる。初めて今春に逝った祖母の夢を見る。雨が降っていて非常に寒い。煙草がない。布団にくるまってじっとしていたい。そういうわけにもいかずガストに行って勉強しようと思ったところラインマーカーなど筆記具を忘れてやる気もなくす。そういう日。ずっとradiohead聞いてた。