'12読書日記28冊目 『センセイの鞄』川上弘美

センセイの鞄 (新潮文庫)

センセイの鞄 (新潮文庫)

299p
総計7963p
非常にゆっくりとした時間が、二人の間を流れている。そのゆったりさと文体のエコノミー(とか書くともろにアホっぽくなりますが最近僕は真面目にこのことを考えているのです)、あるいは「あわあわと」などという時に独特で形容しがたい擬音語がうまくマッチしていて素晴らしい。『溺レル』や『蛇を踏む』など初期の作品を読んできた者にとって、この『センセイの鞄』は川上弘美が自分で違うものを書こうとした努力の跡が見えるようでもある。つまり、彼女特有の「あわあわと」とか「ぼわぼわと」と共に現れ出る<夢と現とのあわい>の描写と、リアリズムのぎりぎりの闘いが本書には残されている。おそらく彼女にとって、前者のような具合に観念的隠喩的に物事を書くことはたやすいのだろう。それはもはや手癖みたいなものでさえあるだろう。解説で斎藤美奈子も言っているように、こうした手法によって読者は核心に近づけば近づくほど「はぐらかされてしまう」。だが、本書はそうした「はぐらかし」を回避し、初老を迎えた「センセイ」と中年の「わたし」の核心を描こうとする。もちろんそれは凡俗なリアリズムではなく、ネジ曲がって「はぐらか」されつつあるようなリアリズムであるのだが。