07読書日記31冊目 「敗戦後論」加藤典洋


本当の眠気を覚える人間は、あらゆる機能が元のままに戻る可能性を、必ず持っているんだ。(J・D・サリンジャー


敗戦後論 (ちくま文庫)

敗戦後論 (ちくま文庫)


この本は、文芸評論家加藤典洋によって書かれた「敗戦後論」である。戦後の日本が抱えることになった問題の一つに「ねじれ」の認識が欠如していることを指摘している。「ねじれ」とは何か。軍事力の行使を世界に率先して放棄することを明記した憲法が、アメリカの軍事力を背景にした圧力の下に押し付けられたと言う矛盾。また、戦争に関して開戦の詔勅に捺印、発布した最高責任者であるにもかかわらず、戦争裁判で免責され、その代わりに下僚が絞首刑に書せられることになった天皇。これらの「ねじれ」が認識、議論されることなく戦後論者達は、全く意味の無い議論に終始してしまっていたのである。それはつまり、一方で戦後民主主義者に代表される「護憲」論的立場の論者であり、それに対置する「改憲」論的立場の論者である。双方が見落としているのはこの「ねじれ」の構造であり、われわれはむしろこの「ねじれ」に立脚して、憲法をもう一度「選びなおす」べきであると、筆者は主張する。敗戦国家において、このような「強制」された憲法を「選びなおす」ことなく、ただその憲法を守るべきか、あるいはその憲法の果たして来た価値を忘れて改憲すべきか、という議論に終始することは、自分たちに自分たちを征服している存在の「力」が感じられていないことであり、そうなのだとしたらそこには深い自己欺瞞があるのである。

また、この「ねじれ」を問題にし、その克服を目指すべきであるのに、この「ねじれ」は、それに目を瞑る「護憲派」と、それを理由に戦前型の「自主憲法」にとって変えることでその解消を目指す「改憲は」との、永久的な陣核分裂の動因ともなっている。これら二派は、互いに互いを拒絶し、対立者を含む形で、自分たちを代表しようという発想が欠如しているのである。

筆者はさらに論を進め、この「ねじれ」の解消のためには、(日本、アジアをめぐる)戦死者の弔い方にこそ、その鍵があるのだと説く。人格分裂の末現れた、護憲派、平和主義者は、戦死者を弔う場合、まず戦争で死んだ「無辜の死者」(原爆被災者やアジアの死者)を先にたて、侵略者である日本兵の「汚れ」た死者を無視する。一方、改憲派は、自国の兵隊に従事し死んだ者を哀悼するため、二次大戦が自衛自存の為の正義の戦争だったと強弁し、それを理由に侵略責任を認めることを拒否して、アジアへの謝罪に目を塞ぐ。

こういった状況に対して筆者はいわば「悪から善をつくる」ことを要求する。「それ以外に方法がない」という理由からそうであり、なぜなら「日本の三百万の死者を悼むことを先において、その哀悼を通じてアジアの二千万の死者の哀悼、死者への謝罪にいたる道」を模索せねばならないからである。アジアの死者を悼むとき、我々は自国の侵略者たる三百万の死者を脇において、「よごれ」を避けようとする。まさに「よごれ」た戦争から、うまれた「よごれ」を見てみぬ振りをしようというわけである。そうではない。この「よごれ」から顕れくる「よごれ」の中から「清く潔白なもの」を取り出さねばならないのだ。


おおよそ、以上の様な考え方が加藤典洋の「敗戦後論」である。この本には「敗戦後論」のほかに「戦後後論」、「語り口の問題」と、関連した論文が収録されている。文芸批評家である加藤の「戦後論」は、おそらく現象学や様々な哲学にも造詣の深いことを感じさせる、抽象的で難解な「語り口」であるが、それは一定の私心を日本に投げかけているようにも思える。が、しかし、まだまだこの分野においては、私自身不勉強なので、ここでは私心は書くことはできない。「語りえないことについて、人は沈黙せざるを得ない」からである。とはいうものの、本書には次のような激励も見受けられ、ある意味自信を得、またある意味責任を負う怖さに身を震わせたのであるが。


「その場で考えられ、語られ、受けとめられる思想は、誤りうる。もし、思想の意味と価値が誤らないこと、常に正しいことに置かれるとしたら、どう考えてもこの同時期の思想よりは、後で語られるほかないにしても誤らない事後の思想の方が、よいことになる。しかし、こう考える時、わたし達の中に、一抹の失望が生まれるのはなぜだろう。わたし達の中に、たとえ誤りうるとしても、同時期に発生する思想の中に、何か大切なものがあるという感じが生ずるのはなぜだろう。」(「戦後後論」)


この「誤りうる」思想への追求、真理は誤りうることの中にこそあるのだという希望がある。そして、この文頭にも書いた「眠り」(デタッチメントあるいはノン・モラル(本稿ではこの重要な思想について省略した))を通して、「誤りうる」思想の中を、どのような苦しみの中でも、再びそこから「あらゆる機能が元のままに戻る可能性を」持つのであるから。


補足

本書は、「太宰治」や「大岡昇平」について、その戦中戦後におけるコンテクストの流れから、文学批評的に扱った秀作としても読むことができる。


325p

総計9117p