08読書日記65冊目 「知識人とは何か」サイード

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

前々から読んでみたいと思っていたサイードの講演録。サイードとは本当に厳しい人である。厳しい自己批評と<知識人>に向けられたまなざし。サイードが闘ってきたのは、「東洋」とか「西洋」といった虚構であり、人種の本質主義的分類法であった。

<知識人>とは、「アウトサイダー」であり「アマチュア」であり、「現状の撹乱者」であり、「亡命者」であり、「周辺」である。彼はステレオタイプや図式的な範疇、紋切り型の言葉を打ち破る努力をする。そして彼は、人間の悲惨さと抑圧に関する真実を、党派性、国家、民族を超えて語る。その発言がドグマや政党権力に取り込まれたりしない、「自由」で容赦の無い人物である。<知識人>は、その大きな役目として、可能な限り幅広い大衆に訴えかける。権力者やインサイダー、エキスパート、ドグマ、国粋民族主義集団思考階級意識、白人・男性優位主義に異議申し立てをする者なのだった。

<知識人>は、自分の聴衆に向けて、なにかを表象し、そうすることで、自分自身に対して自分自身を表彰することになる。彼は何を表彰するか、それは、声無き者の声、である。あらゆる人間は、自由や公正に関して世俗権力や国家から適正なふるまいを要求でき、彼らの権利が侵犯されるなら断固抗議し、勇敢に戦わねばならない、そのように訴えかける。<知識人>の表徴とは、懐疑的な意識に根ざし、たえず合理的な探求と道徳的判断へと向かう活動それ自体なのである。そして、みずからの信念に従って、みずからの批判的センスに全てを賭け、どこまでも容赦なく批判を行う者だ。

日本において、そのような人物、知識人は丸山真男であり、柄谷行人であり、大江健三郎であった。しかし、現代において、このように激烈にみずからと権力に対して厳格に批判を行いうる人物がいるだろうか? 欧米の哲学者は、概ねそうであった。ソンタグにしろ、チョムスキーにしろ、ハーバーマスにしろ、ニーチェにしろ、デリダにしろ、マルクスにしろ。

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