08読書日記117冊目 「生は彼方に」ミラン・クンデラ

生は彼方に (ハヤカワepi文庫)

生は彼方に (ハヤカワepi文庫)

ミランクンデラの「自伝的」小説、ということであるが、クンデラの場合「自伝」とかそういうことは関係がない。彼は何しろ、主人公の少年詩人を殺しているのだ。

抒情詩が全体主義国家のもとでこそ、生き延びる、という決定的なテーゼについて書かれた小説。全体主義とは「あれかこれか」を迫る、あるいはこう言ってもいい、「生か死か」「愛か死か」を迫ることである。そのようなTo be or not to beの思想状態の下で、抒情詩は生き延びる。抒情詩とは感情表現の卓越した技法である。圧倒的な「重さ」や「俗悪さ」で迫り来る者らに乗せて叙情的に語ることは恐ろしい。それこそ「生の彼方へ」人を連れてゆくものである。少年詩人やろミールにとっては母親こそが全体主義であり、そして自らも「全体主義」的抒情詩人へとみをゆだねていった。愛とは全体主義的な重さを持って迫りくる呪いであり、そこには自らの俗悪さへの慰めしかない。そして人生とはともすれば全体主義的な「あれかこれか」の倫理的問いをもって迫りくる俗悪なものと化す。しかし、仮に人生が幾度もあると考えれば、そしてそれは何度も反復されるものだとしたら、夢の中で人が生きられるとしたら。クンデラの小説の中には「繰り返し」が幾度も現れる。ああ、彼の主人公たちが、人生において何度も「繰り返される」ということを知っていたのなら、おぞましい愛の強迫観念から逃れられたであろうに!

ヤロミールのおぞましい言葉を聞きたまえ。
――愛とはすべてか、無かということだ。愛は全面的か、存在しないかのどちらかだ。・・・そうだ、愛はすべてか無かのどちらかだ。真の愛のそばでは、すべてが蒼ざめる。ほかのものはすべて、なんでもよくなるんだ。・・・ぼくが死んでも、きみは生きられるのか?・・・ぼくがきみを捨てたら、きみは生きてゆけるのか?

554p
総計34681p