09読書日記86冊目 『懐かしい年への手紙』大江健三郎

懐かしい年への手紙 (講談社文芸文庫)

懐かしい年への手紙 (講談社文芸文庫)

文庫版ではなくて、古本で売られていた単行本の方を買って読んだ。
大江健三郎は日本の私小説の伝統を、屈折した形で受け継いできた。私小説を乗り越えようとしながら、圧倒的な量の作品を「ズレを含んだ繰り返し」の手法を用いて、むしろ私小説を内在的に突き詰める形で完成させた。1987年に出版された『懐かしい年への手紙』は、彼の自伝的要素を多分に含み、自作からの引用も他の作品と比べても群を抜いて多い。大江は本作で、自らの小説家としての生と言う現実と連続して破天荒で性的な小説的・虚構的事件を書くことで、私小説から無理やりの飛翔を遂げようとしているのである。

イェイツからダンテへ、そして四国の森の神話的な美しさ、畏怖、政治的な現実、それらが様々なテクストの糸としてつむがれていく。モティーフは最初から最後まで丁寧に回収され、循環する時間というキリスト教以前のギリシア・ローマ期の時間概念が展開される。ギー兄さんという、人生の師匠との「手紙」を通じて、自らの人生に折り目をつけていく主人公。常に自分の振る舞いに責任を取ってきたギー兄さんは、最後、本当に「むこう側」へと旅立って、自らが計画した人造湖の不吉で忌まわしくさえある黒い水の上に浮かんで死ぬ。いやな臭いを放ちながら黒い水を湛えている湖と、そこから後の桜が咲き誇る山並みが重ねあわされるイメージが美しすぎる。

ダンテをよく知らぬ僕であっても、その言葉の華麗さと荘厳さは身に染みるように、伝わってくる。

――僕はその「懐かしい年」に向けて手紙を書く。ギー兄さんと都会に出なかったもうひとりの僕、それに美しい知の子供ヒカリが、水底に沈んでいない「美しい村」の景観のなかで、届いたばかりの手紙を廻し読みする。はっは! と彼らは笑う。われわれとちがって、むこうにいるKちゃんは、つまり「懐かしい年」にいるわれわれとはちがって、「堕ちた世界」にいるKちゃんは、あいかわらず苦しい生を生きているな。ともあれ、さちあれかし! と語り合いながら。


471p
総計29323p