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いつの間にか年も開け、2010年。12/30〜1/4まで帰省していました。正月の実家には食べ物とお酒が溢れていて、食っちゃ寝食っちゃ寝の日々は、僕を確実に2キロ太らせるという窮地に追い込んだのです。母親は毎年のようにおせち料理を作り(http://twitpic.com/w7aru)、親戚をもてなし、パーキンソン病で歩くこともやっとの祖母を介護し、と八面六臂の活躍ぶり。父も僕も手伝ったりはするものの、昼になればテニスコートに足を運んでいました。母は偉大なる者かな。
一月の末に東京の大学院を受けます。実際受かるのは難しいんじゃなかろうか、と考えていますが、とりあえずは英語を読み書きし、社会思想史の本などを読んでいます。とともにあんまり積極的に上京する気分でもないことは確かなわけで。まだ京都に未練があるのか、と言われれば、そうなのだ、としか言いようがありません。とりあえず、院試は頑張ってくるつもりですが。
日々に新しさがないという気もしています。安定を20代の前半で求めてしまっている自分に辟易することもあります。年末に大江健三郎『水死』を読んだりもして、文学的な仕事をしたいと思っていたちょっと前までのことを思い出したりもしたのです。
昨日は、高校の親しい友人らと飲み会⇒カラオケと楽しい時間を過ごしました。すごく密な関係で、たまにあっても、いつもどおり幸せな時間を送ることのできるのです。僕の数少ない人生の財産は、温かくて面白い友達によって、培われたものだと思います。彼らの将来の話しもしながら、僕はやっぱりまだ独立して生きていくことに、独りで生きていくと決めることに、怯えているのだと感じました。独りで生きていくこと、というのは隠喩的な言い方です。自分のプランを立てて、自分の発想を糧に、道を切り開いていこうとする、そういうような生き方。僕はやっぱりまだまだ子供気分のままに、なあなあで大人になっていくのでしょう。断絶をこそ必要としているのかもしれません。
しかし、何から断絶すればいいのですか。今までの僕と、今までの友人たちに、でしょうか? それとも愛した人たちに、ですか? そうではなくて、僕は自分の臆病と断絶しなければならないのでしょう。やってみること、とりあえず足を踏み出すこと、それはすなわち断絶なのです。過去と未来の間に裂け目を入れる、そういう断絶。
とにもかくにも、過重気味の体重から断絶しなければならないと誓いを立てて、本年のあいさつにしましょう。