'10読書日記3冊目 『社会』市野川容孝

社会 (思考のフロンティア)

社会 (思考のフロンティア)

「社会的なるもの」の言説史を追うことで思想史的に「社会」が意味してきたもの、特に忘れ去られてしまった規範的な内実を丁寧に論じている。社会という言葉には、ある規範性がこめられていると言う。それは、他者との係わり合いの中で「寛大、仁慈、人間愛……憐れみの情」を教え、自然的な平等(人権)を確認することではなく、自然的な不平等を超えて平等に生きるべきだという規範性にほかならない。しかし、「社会的social」という言葉は、特にウェーバー社会学者によって忘却されてきた。社会学的な客観性は、社会から規範性を抜き取ってきたのである。筆者はあえて言及してはいないが、社会学者による客観性、価値自由の厳命は、当時のリベラリズムの公私分離の視点とも一致するだろう。
本書で、筆者がその規範的な「社会」という言葉の出発点に据えているのはルソーである。彼の『不平等起原論』と『社会契約論』の読解を通じて、平等と差異の問題、平等と所有の問題に切り込んでいく筆致は鋭い。ルソーは自然的な不平等を社会契約によって市民の平等へと解消しようとしたのだった。しかし畢竟、彼は「めまいのしそうな他人の近さ」のなかに、つまり目くるめく同一化の罠にはまりこんでしまうのでもある。社会的な平等の概念は、ルソーの社会契約、あるいは全体意志の手段をとることはできない。筆者がそこで「社会」の達成へ手段として依拠するのは、ルクセンブルクベンヤミンの民主主義論である。差異の平等こそは、今や目指されるべきものとなった。
アレントハーバーマスルーマンなど多岐にわたって浩瀚に論じられており、本書はまさに入門書的な様相を持ちながらしかし同時に極めて面白い思想書なのである。特に、マルクスではなくイギリスの経済学者W.トムソン(トムソンといえば僕はE.P.のほうしか知らなかった)を大々的にフューチャーしていて、すごく啓発された。

237p
総計747p