2010年・ヨーロッパへの旅(4)

20日
昼前にブリュッセルを出発、再びThalysでパリ北駅まで。約一時間程度。どんどん南下していくからか、日差しが暖かくなり、ついにパリに着く頃には全く暑気を取り戻していた。長袖では暑いほど。写真はパリ北駅の雑踏。

北駅のすぐ南にあるホテルにチェックインして、パーカーなどを脱ぎ捨て、ルーヴルへ向かう。ルーヴル〜凱旋門エッフェル塔と歩いてめぐる。ルーヴルのピラミッド。6年前にパリに来たときにルーヴルには訪れていた(&すっかり広大さにうんざりした)ので今回は素通り。すっかり晴れ渡って気持ちよい。コンコルド広場を抜けると、シャンゼリゼ通り。広い通りを闊歩する。地元ピープルがどれくらいの割合で存在するのか気になるところ。


シャンゼリゼ通りの店が連なるところのベンチでは、ツタンカーメンの格好をしたbeggarさんがいた。ちょっとヒューモラスでイイネ。同伴者は気に入って小銭をあげていた。思えば、アムスでもブリュッセルでもbeggarを見かけなかった。パリではしばしばイスラム系なのだろうか、黒いスカーフをした女性が、前に空き缶を置いて跪いている。地下鉄の中ではギターを陽気に奏でた後、帽子をひっくり返してコインを求める人もいる。パリの風景。

凱旋門が見えてきた。

凱旋門を中心に放射線状に道が広がっていく。京都は碁盤の目みたいだけれど、広場というものがあまりない。辻だ。しかも辻には、辻神が住むと言われたりしてあまり縁起の良いところではない。現世と来世の交差するところ、というイメージがあったりする。広場は、やはりヨーロッパ文化のものなのだろう。アゴラ。そこは古来から市民的公共圏の場所としてイメージされていたかもしれない。今はとにもかくにも脱市民化/観光客化された公共圏としての、凱旋門をとりまく広場。日本人の観光客も増えてきた。

節約志向(!)の僕らは当然凱旋門などには上らずにちょうどシャンゼリゼ通りと交わっている通りをてくてくと歩き、エッフェル塔を見下ろせる公園まで行く。そこからの眺望は何度見てもあきそうにない。もちろん観光客とバスはたくさん。

エッフェル塔の足元まで行き、結構疲れたから(そらルーヴルから歩いたら疲れますわ)そのあたりの芝生で寝そべって。30分くらい眠って、日陰が涼しくなったのに気付いて目覚める。同伴者はまだ眠っている。僕はセリーヌ『夜の果てへの旅』の続きを。ちょうど主人公バルダミュがアメリカからパリに帰ってきたところ。バルダミュはパリの場末で貧しく惨めにくらしているが、そのような光景はこのエッフェル塔下では考えにくい。考えにくいことは想像しなければならないのかなど、小難しいことを考えていると同伴者が目覚めた。

腹もすいてきたところで、どこでご飯にしようかなど相談。カルチェ・ラタンのあたりが安いらしいなどということで、今回はさすがに地下鉄に乗る。ソルボンヌ大学コレージュ・ド・フランスが対面している。ソルボンヌ大学に入ろうとしたら、only student and teacherとのこと。イケメンの警備員に悪態を垂れながら去る。なんなの?閉鎖的なの? 写真はコレージュ・ド・フランスフーコーはここで教えていたのだ、と話すと、早くここで教えて飯を食わせろと無理難題を言われる。俺はまだ修士論文のテーマさえ決まってはおらぬのだよ?などなど。

レヴィ・ストロースのポスターが貼られていた。フーコー先生はおらず。

近くの安いビストロに入り、一応ちょっとしたコースを食べる。ブルゴーニュ風牛肉の赤ワイン煮(Boeuf Bourguignon)は意外にうまかった。そしてやっぱりフランスパンが旨い。ビールとワインを一杯ずつ飲んでほろ酔い。同伴者いわく、マスターの腋臭が半端なかったらしいが、僕は幸い気付かなかったのであった。18歳の息子もserverをしていて、カワユスであった。ホテルへ帰り、眠り、夜の街へ繰り出すも、ホテルの周りはあんまりなんもなく、結局ホテルの隣にあったカフェ&バーでロゼを飲む。陽気なおじいちゃんと(多分)彼のお母上が通りのテラスで飲んでいて、おじいちゃんは全く英語は喋れんし、僕らも全くフランス語ができないながら、おじいちゃんのジョーク連発に愉快になったのである。にしてもスーツにブーツと、なかなか洒脱なおじいちゃんだった。ベッドに入れば、もう眠ってしまった。