'10読書日記77冊目 『フランスにおける階級闘争』マルクス

フランスにおける階級闘争 (国民文庫 24)

フランスにおける階級闘争 (国民文庫 24)

200p
総計23453p
国民文庫版は絶版か。ゼミで読んだ。フランス三部作(本書(1850)、『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』(1852)、『フランスの内乱』(1871))の第一作。ジャーナリスティックにフランスの二月革命以後を描写するマルクスは、しかし、この当時はまだ「マルクス主義」なるものはどこにも無かったのであるから、誰にも余り共感を示していない。『ブリュメール18日』でもそうだが、本書はいっそう叙述において複雑である。まず、マルクスの理論である、資本家/プロレタリアという二分法がここでは余りうまくいかず、金融ブルジョワジー・産業ブルジョワジープチブルプロレタリアートルンペンプロレタリアート・農民といった、様々な階級が登場する。社会階層/政治主体/イデオロギーの対応関係も、あまりはっきりと統一されているわけではない。一般に、本書は、政治の歴史を経済的な原因に求めて叙述したと言われているが、それも国内の社会階層と国際経済の関係など、一筋縄ではいかない。実際、マルクスは自身の理論を何とか当てはめようとしてはいるのだが、あまりうまくいっていないような感じもする。二月革命と六月蜂起をどう捉えるか、ということが問題の焦点になっているが、叙述の中心はプロレタリアートではなく、むしろプチブルや農民、あるいはボナパルトブルジョワである。
先生が指摘していて興味深かった点は3つ。
第一に、マルクスはルイ・ブランが掲げ、1849年11月4日の第二共和制憲法によって退けられたとされる「労働の権利」をどうみていたのか、ということ。国民作業場のようなところ、あるいはイギリスのworkhouseみたいなところで強制的に労働させるのがそれに当たるのか、それともベーシック・インカムみたいに施設外で労働を保証するようなものなのか、あるいは、そもそも労働は「権利」なのか。
第二に、二月革命は、(労働者革命として成功したと言われる)ロシア革命から見れば、失敗した、過渡的な時代の革命だったかもしれない。しかし、そもそもどうして「二月革命」は成功したのか。逆に言えば、どうして七月王制があっさりと崩壊したのか。二月革命は確かにブルジョアとプロレタリアが手を組んで、王党派の金融貴族に反旗を翻した事件ではあった。だが、「革命」というイメージからすれば、六月蜂起のほうがよっぽどエネルギーに満ちている。ロシア革命という成功した(と言われている)プロレタリア革命が、もはや失敗に他ならなかったことが明確である現代は、ようやく二月革命の歴史における固有性みたいなものを同定できる時期なのではないか。
第三に、果たして、本書『フランスにおける階級闘争』においてマルクスの理論の枠組みで当てはまるようなプロレタリアートは存在するのか。大都市パリにおいて大工場の数は、決して多いものではなかった(し今もそうだ)。本書には確かに空想的社会主義者らは出てくるが、プロレタリアートの存在は、その他の社会階層と比べて、あまり豊かに叙述されてはいない。よっぽどプチブルや農民、ルンペンプロレタリアートの方がvividな叙述がなされている。むしろプチブルが、プロレタリアなのではないかと思われるような叙述さえある。というのも、プチブル(小商店主やカフェの経営者など)は、自分の店を所有してはおらず、土地も持たず、借金まみれである。ロシア革命が資本家vs労働者というはっきりとした対立を孕んでいたとすれば、二月革命から六月蜂起にいたる階級闘争は、俄然すっきりとせず、雑多なのだ。
僕としても、(そしてネグリらも主張するだろうが)ルンペンや農民へのマルクスの厳しいまなざしは、あまり好きではない。少なくとも彼らはマルクスにとって、革命の主体ではなく、むしろこう言っていいならボナパルティズムの主体である。他にも、単純に疑問に思ったのは、資本主義と金融の関係性。金融制度は産業革命以前からも存在した訳だが、どういう風にしてそれが大工業と関係を持つのか、金融資本主義という言い方はいつごろから可能になったのだろうか。もちろん『資本論』の第二巻以降を読めよっていう話ではあるんですが。