8-15

原稿カキカキは休んで街に出てカフェで本読み。昨日は少し寒かったのだけれど、今日は夏手前な気候で(夏やねんけど)素晴らしい。のあと、ライプツィヒまで電車で。ピアニストkくんとバッハ像の前でおちあいビール。
この前あったのは彼の学校で行われた無料の演奏会のときだから三ヶ月ぶり。お互いの近況報告など。豚のステーキ。音楽と言葉の話を楽しくした。彼はジャコメッティが好きで、その話も色々。僕からはパウル・クレーの話など。音楽と言語、絵画など横断していく。外でビールを飲みながら芸術の話をするのは最高やなあ。ケルシュビールを堪能した後、店を変えて珈琲。
そうするとチェリストのhさんも現れて、また盛り上がる。リストの譜面は音符がいっぱいでそれを演奏するのだけでも難しいんだけど、ほんとうに難しいのはシューベルトのような音符が少ない曲とのこと。少ない音でその間に開かれている余白を表現することが難しいという。それは僕の分野からすれば、詩と散文の関係に似ていると思う。散文は余白を言葉で埋めていって、なんでも説明できるけれど、詩は少ない言葉で周りの余白を読み手の想像力で埋めるように表現しなければいけない。言葉の選び方ひとつで一気に世界が変わることがあるねん、と言うと、kくんもhさんも、音一つであるいは休符一つで世界が変わる演奏がある、それが目指すところだけれど難しいという。面白かったのは、言葉を扱う人からすれば言葉-意味以前の沈黙があまりに雄弁で、言葉を放った瞬間に取りこぼしてしまった次元のあまりの大きさにうなだれるほかはない、だから音楽は羨ましいと思うと僕が言ったのに対して、kくんは音楽はそれの逆だとのこと。つまり、彼によれば、ピアニストはまずは音楽に意味付けをしていく、譜面を徹底的に読み込むとはそういうことで、まずは音が表現するものに意味を与える、意味を与えた上で本番ではそんなことを考えずに音を聞く。音に意味を読むということからすれば言葉は羨ましいというのだ。お互いないものねだりですな。
あとはなぜかフーコーの話になって、僕が紹介した彼の言葉「それは警察の質問です」っていうのを気に入ってくれたみたいで良かった笑。(あ、谷川俊太郎の「なんでもおまんこ」と「鳥羽1」も伝えた、例のごとく)
23時の電車に乗って帰ったのは24時過ぎ。久しぶりに沢山ビールを飲んだからか、芸術の話をしたからか、すごく高揚した気分でなかなか寝付けず、アガンベンなどをパラパラしていた。