'13読書日記48冊目 "The General Will Before Rousseau" Patrick Riley

The General Will Before Rousseau (Studies in Moral, Political, and Legal Philosophy)

The General Will Before Rousseau (Studies in Moral, Political, and Legal Philosophy)

274p
いい意味でも悪い意味でも名高いルソーの「一般意思(volonté générale)」は、近代の民主主義理論の根幹をなしてきたし、いまもなお様々な人らに刺激を与えていることは言うまでもない。しかし、「一般意思」という概念、あるいはそれと対比させてルソーが使う「特殊意思」は、決してルソー独自のものではない。例えば、今年生誕300周年を迎えたディドロは『社会契約論』(1762)の少し前に『百科全書』「自然法」(1755)のなかで一般意思/特殊意思(volonté particulière)について――全くルソーを思わせる仕方で――議論している。

特殊意思は疑わしいものである。それらは善でも悪でもありうる。しかし一般意思は常に善である。それは決して誤ることなく、また過たないであろう。

したがって、ディドロによれば「特殊意思しか聞かない人は人類の敵」であるのに対して、「情念が沈黙しているとき」に、「人間が同胞に要求し得るもの、また同胞が彼に要求し得るもの」を基礎づける「一般意思」は、ある社会内での行為の規則、さらに他の社会に対するその社会の規則を形成するのだから、立法権は一般意思に属さなければならない(岩波文庫版『百科全書』「自然法」p. 210-2)。
しかし、岩波文庫版の訳者である恒藤武二が言うのに反して、ディドロは「一般意思」の最初の使用者ではない。1748年に発表された『法の精神』第11編のなかでモンテスキューは、三権分立こそが政治的自由を可能にする国制であると考察したあと、三権が結合したイタリアの共和国に関して次のように述べる。

これらの共和国における公民の状況がいかなるものとなりうるかを考えていただきたい。法律の執行者たる同一の役職者団体が、立法者として与えられた全権力を持っている。この団体はその一般意思によって国家を荒廃させうるが、また、裁判権力も持っているので、その個別意思によって各公民を破滅させることもできる。(岩波文庫版『法の精神(上)』p. 292-3)

こうした断片的な引用によってさえ少なくとも明らかなのは、ルソーが一般意思概念の創始者ではないということ、そして朧気に考えられうるのは、一般意思/特殊意思という対立項を用いた議論が当時のフランス思想にとって新奇なものではなかった、ということである。
本書『ルソー以前の一般意思』においてパトリック・ライリーが成し遂げるのは、こうした一般意思の概念の系譜を、非常に見事にたどってみせることである。ライリーの調査によれば、一般意思が最初に用いられたのは、1640年代以降にフランスで行われた神学の論争においてであった。ジャンセニストであったアントワーヌ・アルノー(Antoine Arnauld)こそが、その第一人者であり、それはカトリシズム、とりわけジェスイットとの対立のなかで用いられたのである(ライリーはその後継者としてブレーズ・パスカルについても論じている)。その論争の中心点は、聖書の言葉「神はすべての人が救われることを意思する」(パウロによるテモテへの手紙)の解釈を巡ってであった。つまり、まずは神の意思の一般性として一般意思という言葉が登場したのである。これ以降、モンテスキューが一般・特殊という対立を自らの政治学(あるいは政治地理学)に持ち込むまで、一般意思という用語は神学的な論争の中で用いられ続けたのだ。そこで争われたのは、神の意思の一般性であり、あるいは神の意思の実効性であった。例えば、アルノーは救済されるべき「すべての人」を「すべての(性別や職業、出身地など)カテゴリーから選ばれた少数の人」という意味で解釈し、一般意思の一般性を縮小する。あるいは同じジャンセニストのパスカルは、「思考上の構成員からなる身体」、つまり神が統治する現世のすべての人を含む共同体において特殊意思はより上位の意思に従属しなければならないと説いた。アルノーパスカルを総括するように、一般意思の神学的含意を完全なものにしたのは、マルブランシュである。彼の周知のテーゼ「すべての事物を神に見る」は、まさに神の意思の一般性を表現したものにほかならない。ライリーは、マルブランシュとその批判者たち、とりわけボシュエ、フェヌロン、ベールとの間で繰り広げられた1680年代から1710年代にまでおよぶ幅広い論争を追っていき、一般意思に表現される哲学的な諸問題を明らかにしていく。マルブランシュにおいて、神の意思の一般性はデカルト主義と結びつき、自然の一般法則の表現にまで洗練される。神が完全な第一の存在者であり、最上の威厳を持つのであるとすれば、彼は特殊意思によって個人を救済する能力を持っていたとしても、自らの意思の一般性をわざわざ貶めるようなことをしてまで個別の救済を、つまり奇跡を起こすことはありえない。神は自らの威厳・栄光のなかに居続けるのであり、最初の創造以来、その自然法則の一般性をただ働かせるにすぎない。もちろんこうした議論は容易に神義論を引き起こす。ベールはそれに反応したのだった。
詳細にマルブランシュに至る神学的な論争を追ったあと、モンテスキュー以降、ルソーにかけて一般意思の概念が世俗的に、つまり政治哲学的に用いられるようになっていくさまをライリーは明らかにする。明らかにされるのは、ルソーは一般意思の創始者であったのではなく、むしろこうした特殊フランス的な議論の中で育ち、一般意思を完成させた者であったということである。議論の伝統の中で、ルソーの一般意思概念を読み解いていく手つきは優れて説得的なものである。
久しぶりに、超本格的で、しかも抜群に面白い思想史の本を読んだという感慨を持った。パトリック・ライリーは、オークショットのもとで学んだ41年生まれの政治思想史研究者である。本書は未邦訳であり、それどころか原書でさえ絶版になっているらしく手に入りづらいのが非常に惜しまれる。ライリーはフランスの17-18世紀の研究者(フェヌロンやボシュエの翻訳)であるだけでなく、ライプニッツやカントをも研究するものすごい人物であるだけに、いっそう残念だ。以下の書物も、非常に面白そう(だけど、絶版である)。
Will and Political Legitimacy: A Critical Exposition of Social Contract Theory in Hobbes, Locke, Rousseau, Kant, and Hegel

Kant's Political Philosophy (Philosophy & Society)

Kant's Political Philosophy (Philosophy & Society)

Kant's Political Philosophy
Will and Political Legitimacy: A Critical Exposition of Social Contract Theory in Hobbes, Locke, Rousseau, Kant, and Hegel

Will and Political Legitimacy: A Critical Exposition of Social Contract Theory in Hobbes, Locke, Rousseau, Kant, and Hegel

『思想』2013年12月号・ディドロ生誕300周年特集
思想 2013年 12月号 [雑誌]

思想 2013年 12月号 [雑誌]