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昼、生田緑地をぶらぶら。緑地のイメージとはちがって、がっつり山だし、芝生も立入禁止になっていて悲しいが、天気もよく、桜も咲きかけていたので、親子連れで賑わっていた。岡本太郎美術館の不思議で怖いモニュメントもある。2時間位歩いたからか、帰って即昼寝。夜は、『セデック・バレ第一部』を見る。ものすごい映画である。日本統治時代の台湾で起きた台湾原住民の抗日暴動「霧社事件」を題材にしているのだが、撮り方がすごい。台湾原住民の運動を神聖化し日本の統治を悪辣に描く、そのような一方向なものでは全然ない。もちろん、おそらく西洋の植民地政策においてどこでも見られたであろう啓蒙と野蛮の対立を、遅れてきた文明国日本が全く同じように繰り返し、台湾を支配掌握していく様は、痛いくらい生々しく描かれている。そして、日本に逆らって闘いをおこなう原住民セデック族の勇敢な描写も、圧巻のものである。闘いのシーンや狩りのシーンのダイナミックさは、この映画のどまんなかの醍醐味である。しかし、かといって、原住民の主人公が持ち上げられ、日本が貶められるというような単純なものでは一切ない。日本の植民地統治の酷さのみならず、同時に暴動事件のあとの惨たらしさ、一抹のむなしさのようなものも、映画は捉えているのだ。セデック・バレとは、真の人、真の男という意味で、戦闘の中で敵の首を取った人を直接的には意味しており、文字通り、彼らは日本人の首をなたでざくざくと切り落としていく。しかし、その惨たらしさが、闘いの、反抗の狼煙を上げた時の高揚感を観ているものに萎えさせる。第一部のラストシーンの、霧がかった情景はその物悲しさを語っている。
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昼前に起きて、駅前の王将。王将のサービス券を持っていたのだ。春の嵐。のあとライプニッツを読んでいます。