'14読書日記23冊目 『アフリカの日々』アイザック・ディネーセン

アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)

アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)

"All sorrows can be borne if you put them into a story or tell a story about them."――どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、堪えられる。
ハンナ・アーレントが『人間の条件』の「活動」の章のエピグラフに引いた言葉である。アイザック・ディネーセンあるいはカレン・ブリクセン、デンマーク出身で長くアフリカに暮らし、英語で小説を書いた人の言葉だ。『人間の条件』を6年くらい前に読んでから、ずっとこの人の小説を読みたいと思ってきた。原題はOut of Africaメリル・ストリープロバート・レッドフォード主演の映画『愛と哀しみの果て』の題材になった。抑制の効いた感情の描写、それと正反対にとめどなくあふれるようなアフリカの驚異、美しさ、崇高さ。気高い人、高貴なる人とは、この私小説風の主人公のことを言うのだろう。第一次大戦前後にアフリカで過ごしたヨーロッパの人々は、主人公も含めて、主人公が言うように、ヨーロッパの時代から疎外され、見放されてきた人々である。民主主義と自由主義の時代に、なによりもその理想を愛しながら、しかしその気高さ故に、そこから放逐されてしまった人々。アフリカの大地、動物、人々、時間、空間はその人らにとって、自分の住処となり、墓場となる。オリエンタリズムと無縁ではないにせよ、それも自覚して書かれた物語は、彼女自身の悲しみを耐え難いものにはしない。手記風の記述が時間軸もばらばらにとりとめもなく続くが、それを読み進めるプロセスの中で、作者に同化し、アフリカに生き、そしてそこから還ってくる、その体験をものすごく昔のことのように、同時にものすごく今ここに、追憶する。
長い間、「どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、堪えられる」という言葉は、非常に心に訴えてくるものがあるけれども、アレントの活動の核心とは一致しないのではないかと感じてきた。アレントの活動とは、人が公的領域に現れて、言語と行為によって自らが〈何〉ではなく〈誰〉であるかを暴露するということ、このことを意味している。僕はこれを(あながち間違いではない解釈だが)ハイデガー風の実存哲学として受け取り、そこに惹きつけられていたのだった。そうだとすれば、ディネーセンの引用は、まったく別のことを指し示すことにならないか、と思ったのだ。つまり、悲しみという感情が、誰とも共有できない、まさにその人自身を、〈誰〉を開示する契機となるのだとすれば、そしてそれが物語られることによって堪えられるとするなら、そのときにはその人の実存の核心となる〈誰〉性が無化されてしまうのではないか。今から考えれば、この考え方はまさに実存哲学そのもの、あるいは大江健三郎流のそれだったということが分かる。いまでもこのことは僕にとって真実だと思うが、大江は『万延元年のフットボール』のなかで、本当のことというのは、そのことを誰かに語れば、自殺するより他にない、そういうものだと語っていたのだった。自分の本当のこと、そのことは言語以前の実存そのもの、私自体(Ich an sich)であるがゆえに、言語という他者と共有された媒体に変換された瞬間には私自体が破壊されてしまう以上、そのことが自分の本当のことであったと証だてるためには、自殺するより他にはない。『万延元年のフットボール』を読んですぐあとになって『人間の条件』を読んだからだろうか、僕は、このように考えていただのだった。
件のディネーセンの言葉は、『アフリカの日々』に出てくるものではなく、彼女がとあるインタビューで語った言葉のようである。しかし、『アフリカの日々』の次のような箇所――アフリカでのコーヒー農園経営がたちゆかなくなってアフリカを去るよりほかにはなくなったあと、そこで働いていた現地の人々らの生活に語り手が思いを巡らせているところ――を読んだとき、アレントの引用の真意が見えてきたような気がした。

いま、私の農園の借地人たちはこれと同じ自己保存の本能によって、互いに離れまいとしていた。住み慣れた土地を離れることになるならば、自分の心の拠り所を証しできるように、そこを知っていた人たちに身近にいてもらわなければならない。そうすれば、これからの年月も、この農園の地形や歴史について話し合えるし、自分が忘れたことでも他の人が憶えていてくれるだろう。この共同体絶滅の運命がふりかかるのを、借地人たちは恥辱と感じているのだった。

この箇所を読んだとき、「どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、堪えられる」というアレントが引用した言葉の意味がわかったような気がした。僕はアレントの公的領域での活動による、自己の暴露、〈誰〉の開示の、いわば実存的な意味しか理解していなかったのだ。確かにアレントは、活動によって実存が開示されるというモーメントを説明している。しかし同時に、活動は、活動する人を取り巻く世界、公的領域がなければ不可能である。活動は、人々の間、in-betweenの空間がなければ不可能であり、「活動し語る行為者を暴露すると同時に、それに加えて、世界のある客観的なリアリティに関わっているのである」(『人間の条件』)。アレントが好んだルネ・シャールの言葉は、「われわれが一緒に食事をとる度に、自由は食席に招かれている。椅子は空いたままだが席は設けてある」というものだった。悲しみは、人々の間、この空けられて待ち受けられている席に開け放たれて、当事者が誰であるかを暴露すると同時に、しかし人々に新しく共有される空間を作り出す。『アフリカの日々』は、純粋に私小説的ではあるけれど自然主義者のそれ、ロマン主義風の自己の発見ではなくて、アフリカの人々と作者が生きた歴史と空間を開示する。読者はそれを読むことで、アレントが「暗い時代の人々」と呼んだ人々と、新たに時間と空間を共有することができる。