'14読書日記26冊目 『晩年様式集』大江健三郎

本書は、『取り替え子』、『憂い顔の童子』、『さようなら、私の本よ!』、『臈たしアナベル・リイ』、『水死』と大江の「晩年のスタイル」の総決算とも言うべきものだが、総決算という言葉自体はまことにふさわしくない。本書が確かに年齢的、時間的、肉体的な意味で作家の総まとめなのだとしても、実のところ、そのスタイルは明らかにいままでを破壊し、再び新たなものを作っていく方向性を打ち出しているからだ。『晩年様式集』は3.11後の破局を生きる作家が、彼の日常である読書を中心とした生活さえできなくなるくらいに打ちのめされ、しかたなしにとりとめもなく徒然と書き記した手記のような性格を持っている。これに加えて特徴的なのは、「三人の女たちによる別のはなし」として、これまで私小説の伝統を脱構築したようでたしかにそこに加わっている彼の作品群に登場してきた、身の回りの三人の女――妻、妹、娘――がそれらの作品に異議を唱え、彼の作品をどう受け止めてきたか、どう「抑圧」されてきたのかを、語る節がくわえられていることである。つまり、作家の手記と女達の手記が交互に展開される。作家には女達によるすさまじい批判がくわえられ、それに組み伏せられつつも自らの仕事を再びたどり直していかざるをえなくなる、というものだ。
もちろんこうしたスタイルは、たんに芸術のための芸術としてあるのではなく、主題のために適切に選ばれたものであるといえる。それは、破局からの再生、死者から生き残った人への懐かしい手紙、とでも抽象的に言うことができるだろう。個人的な困難と大震災を直接リンクさせるのではなく、むしろ文学的・想像的な仕方で、小説の破局と現実の破局のリンクがほのめかされる。私小説のスタイルに則りながら、ポリフォニックな視点を獲得するという方法は、破局にあって個人が、ではなく集団が、共同体がどのようにそれを受け止め、それを生き延びていくかをテーマ化するのに最適なのだ。
語るべきことは多いが、本書の結びに置かれた3.11前に書かれたという大江の詩の一節、「私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる。」――この言葉に、フィクショナルなものと現実的なものを重ねあわせる力を与えるために本書が書かれたと言っても言い過ぎではないだろう。あるいは、ビートニクの詩人のものであるという「求めるなら助けは来る/しかし決して君の知らなかった仕方で」という言葉に肉付けを与えるために。
私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。「私ら」には、生きている私たちのみならず、死んでいった人ら、そして後に生まれてくる人らさえも含まれる――いや、含まれなければならない。