'14読書日記31冊目 "Repräsentation und Autonomieprinzip:Kants Demokratiekritik und ihre Hintergründe" Ulrich Thiele

Repraesentation und Autonomieprinzip: Kants Demokratiekritik und ihre Hintergruende

Repraesentation und Autonomieprinzip: Kants Demokratiekritik und ihre Hintergruende

twitterで某くんに教えてもらった文献(彼のブログで目次と序論が訳されています)。筆者のUlrich Thieleはインゲボルグ・マウスのもとで「アドヴォカシー的人民主権――啓蒙期の政治理論の解釈の文脈におけるカール・シュミットの「民主主義的」独裁理論の構成」という論文で教授資格を得ている。シェイエスフィヒテヘーゲルなどについての著作もある政治思想研究者だ。本書は、マウス『啓蒙の民主制理論』の影響のもとに、従来、直接民主制や革命を忌避し、代表民主制を主唱していると考えられてきたカントの像を一変させようとする。主権の観点からカントを読解するというのは、あまりやられてはいないので、こうした試みは面白いと思った。
本書の特徴的な議論を二つだけあげてみよう。
(1)ひとつは、カントが『永遠平和』のなかで導入した国家形態/統治形態/統治様式という区別への着目である。国家形態は主権の数によって君主制・貴族制・民主制という具合に決まり、統治形態・統治様式は統治の仕方に応じて専制的か共和制的になる。自ら立法し自から執行するような場合には統治は専制的になり、他方で立法と執行が分離している場合には統治は共和制的になる。こうした分類はしばしばザッハリッヒなアリストテレス的分類と考えられてきた。ティーレはそれに対して、カントが自然法講義でテクストとして用いていた自然法学者・官房学者であるGottfried Achenwallにもこうした国家形態/統治様式の区別があることを明らかにし、ボダン以来引き継がれてきた二種類の概念を概観することで、こうした概念の用法の伝統からカントがどれだけ近く、また遠いのかを明らかにしようとする。ボダン以来、国家形態は主権、つまり立法権力を持つものに関わり、統治形態は執行権力(司法権力も含まれる)に関わってきた。アッヘンヴァルは確かにこの二つの概念を用いてはいるものの、実際のところはこれら両者の区別は曖昧になりがちである。それが区別されるのは、自然法的・理性法的観点からではなく、ただプラグマティックな観点である。つまり、執行と司法の両方に主権が関わるのは実質的に無理だから、その両方には誰か他の人格をたてなければならない、と述べられるだけである。しかし、他方でアッヘンヴァルは服従契約の枠内ではあるものの、支配の様式の類型を導入している。それは専制的/絶対的/制限的な支配という区別である。服従契約の埒外にあって支配する場合は専制的であり、服従契約の埒内で自然法によって制限されていれば絶対的、自然法に加えて何らかの恣意的な制限が加えられている場合には制限的である。絶対的な支配は、契約の埒外にある以上、自然状態におけるものであり、そこでは基本権として消極的な拒否権が問題になる。他方、後者二つにおいては、市民の幸福への権利、共同善といったものが問題となっている。
このようにカント以前の国家・支配の類型学を概観した後、いよいよティーレはカントの急所・難所へ一気に飛び込んでいく。それはカントの悪名高いテーゼ、「民主制は、言葉の本来の意味で、必然的に専制である」をどう理解すべきかという問題である。このテーゼはすでに同時代のシュレーゲルやフィヒテからも難詰されてきたものなのだ。ティーレは、この箇所を真に理解するために、アッヘンヴァルのものを改善してカントが用いていると思われる国家・支配の類型学、つまり国家形態/統治形態/統治様式の意味を確認していく。結論から言えば、ティーレによれば、カントが「民主制は、言葉の本来の意味で、必然的に専制である」と述べるとき、そのときに民主制という言葉に含意されているのは、国家形態、つまり主権・立法権に関わる問題ではなく、統治形態なのだということである。実際、カントにおいて、民主制という言葉では古代アテネの政治形態が暗示されており、そこでは成員全員が立法権と同時に執行権を持っていて、立法された法の執行が恣意的になるか、あるいはその法に反対する少数派に対してまで執行が強制されることになってしまう。カントは、実質、立法権において民主制であることではなく、執行権において民主制であること、さらに正確に言えば、立法権と執行権が同一の人格において与えられていること、これを批判しているのだ。このことを補強するために、ティーレはさらに公刊された著作や原稿を広く渉猟して、カントにおいて実は国家形態/統治形態/統治様式の三つが区別されているということを明らかにする(後者二つの統治形態/統治様式は、同じものだと解釈されることが多かった(僕もその一人))。ティーレによれば、国家形態が立法権を持つ主権の数に関わるのに対して、統治形態は執行権をもつ人数に制御される(ここには司法権力も含まれる)。つまり、国家形態(支配形態)と統治形態の組み合わせで、9つのマトリックスが理論上可能になることが分かる。それに対して、統治様式は立法権と執行権の関係に関わっている。両者が同一人格にあるなら専制的であり、分離されていれば共和制的である。したがって共和制的でありえるのは、立法権君主制的で執行権が貴族制・民主制、立法権が貴族制的で執行権が君主制・民主制、立法権が民主制的で執行権が君主制・貴族制の6つである。
しかしカントはこうした制度的なマトリックスをザッハリッヒに導入するだけでは満足していない。先にも述べたように、執行権において、つまり統治形態において民主制であるならば、すべての人がすべての人に対して法を執行することができるようになってしまう。問題なのは、執行権には司法権力も含まれるというという事実である。もし統治権力において民主制が成り立つならば、全員が全員に例えば有罪判決を下すことも可能になってしまうだろう(ティーレはフランス革命の反動を想定している)。統治様式という概念を導入することで、カントは制度的な類型学だけでなく、規範的な主張も行っているのだ。統治権力において民主制は必然的に専制であるとして禁止されるのである。カントは規範的な主張として、執行権力が全員ではなく少数に与えられることを要請する。そして、この執行権力が少数者に委託されている様態を、代表制と呼ぶ。この意味における代表制は、現代もっぱら意味されている代表民主主義のそれとはまったく異なるもの、つまり執行権に関わるものである(この点、カントはルソーを踏襲している)。代表制においてのみ、統治様式は共和制になりうる。しかし、さらに、統治様式という概念、より限定して言えば、共和制的統治様式という概念は、こうした制度的な意味だけで用いられているのではない。重要なのは、それが政治実践的な意味でも用いられている、ということである。カントは理性法的に、すべての人が立法権を持ち、法に関して同意しうる共和制である。共和制的統治様式は、執行権を全員ではない少数者が代表として担うのと同時に、この理性法から命じられる共和制を実現するために改革を行っていかなければならないのだ。その際、例えば大国においてすべての人の合意をどのように実現することができるのか、あるいはすべての人の立法への参加が難しい場合にどうすればいいのか、という技術的な問題を、共和制的統治を実行する政治家は考えなければならない。こうした具体的な状況のなかで、完全な共和国の消極的な代理として、代表制民主主義はありえるだろうとカントは述べるのである。マウスとともに、ティーレはこのことを強調する。
(2)では、いったい共和制的統治からどのようにして実際に共和制が出来するのだろうか。プロイセン君主制という現状、そして革命権の禁止にカントがこだわり続けたことを考えれば、この問いは非常に興味深いものになる。本書の第二の特色は、この問題、すなわち革命を経ずに主権を国民に与え、共和制を実現するにはどうすればいいのか、という問題に憲法構成権力と主権理論の観点から取り組んでいることである。共和制を革命を経ずに実現すること、この具体的な実例をカントは公刊された著作の中では明らかにしてはいない。しかし、他方で、カントがフランス革命に熱狂していたことは有名な事実でもある。共和制への移行に関してカントは何を考えているのか、ティーレはこうしたことを、シェィエスとの比較から明らかにしようとする。あまり知られていないことだが、カントとシェイエスは書簡で議論を行おうと約束を取り交わしていた(実現はされなかったが)。シェイエスはカントの『永遠平和』を高く評価しており、他方カントはシェイエスの著作を読んでいた可能性が高い。事実、憲法制定権力に関して、カントは『法論』のなかで何度か言及している。共和制への移行の問題、あるいは国家の設立の問題について、その権力・構成的権力との関係について、カントはどのように考えていたのか。ティーレの問題設定を引用しよう。

構成的な立法行為、たとえば公的権力の組織的な形態、つまり国家形態や統治形態の規定を具体化することによって、市民体制を設立することを目的とする構成的立法行為は、必ず最大限の要求を満たさなければならない。カントは常に、こうした高次の同意の対象のなかに、立法における代表制と多数決原理という選択肢だけでなく、また立法における意思形成への参加を決定する他のあらゆる法律も数え入れていた。〔…〕「市民的体制の設立の上位の根拠」は「憲法律Constitutionalgesetzen」のなかに存在し、その体制はただ「憲法律」によってのみ変革されることができるので、この特別な〔憲法律の〕立法者には体制によって決定される権限と比較して、より高次の権利が認められている。そしてこの並外れた権限は、カントが示唆しているのだが、当該の(事実上か仮定上かの)決定手続きを特別に要求することのなかに、結実している。理性に従えば、あらゆる「根本法(ルソー)」の妥当は、純粋な共和国の理想に最大限に接近することを通じて特徴付けられている決定手続きと結びついている。こうした前提のもとではじめて、憲法律は最大限の正統性を要求することができる。決定手続きが保証するのは、憲法律が「普遍的な同意によって、つまりひとつの契約を通して受け入れられた」ものとして認められうる、ということである。

要言すれば、ここでティーレが問題にしているのは単純法の制定過程ではなく、憲法律の制定過程、憲法律を決定する手続きであり、憲法の上位に位置する特殊な権限、つまり構成的権力あるいは憲法制定権力と呼ばれるものである。ティーレはシェイエスの『第三身分とはなにか』とカントの議論を照らし合わせながら、その異同を明らかにしていく。両者が一致するのは、どちらも抵抗権的な発想から体制の移行、つまり主権の移行を正当化してはいない、というところである。国王が国家の存続のために平民議会を招集するということは、現実の主権者の果たすべき課題である。国王は、単にそれまで潜在的に主権者であったはずの平民を代表して立法していたのだから、いまやその被代表者が政治の舞台に登場するや、立法権は非代表者である平民へと返還される。主権は分割されず(抵抗権理論的には主権は分割されてしまう)、ただ移譲されるだけである。新たに平民に手渡された主権が、国家・統治形態を憲法制定的に新たに設立する最終的な正統性の源泉となるのだ。ティーレによれば、しかし、シェイエスはここからカントよりもカント的な議論を展開する。カントが国王によって招集された平民代表団が、その後どのように振る舞うかについては述べていないのにたいして、シェイエスは、まさにフランス革命の騒乱を前に、平民代表団の政治的な振る舞いに不安を抱く。不安の源泉としてシェイエスが見出すのが、理性に拠って命じられた決定様式と実際の体制移行の経過のあいだにうがたれた不一致である。シェイエスが何度も強調したように、憲法制定権力と、憲法によって与えられる権力はまったく別物である。招集された平民団はたしかに主権の移譲を実現したが、それは構成的権力を単に代表として執行することを委託されているのにすぎない。したがって、平民団が代表として新たに国家・統治形態を再建する目的を果たし終えたあとに、自らを新たな国家の通常の立法者として宣言するなどということは許されない。

本来国王から国家財政の再建のために招集された身分制議会は憲法制定のために国民の側から非公式的に委託されているのだと述べるとき、シェイエスは、実質的に、ある例外を正当化するカント的な種類の許容法則を持ちだしている。シェイエスが1789年2月に述べているように、身分制議会から生じた第三身分の議会は、国民の憲法制定権力の真の代表として、特別の事情に基づいて例外的に妥当している〔…〕。

カントが主権の移行の際に理性の原則と現実のあいだに不一致を見出さなかったのに対し、シェイエスはそれを見出し、両者を架橋するものとして、「例外的に」「特別の事情に基づいて」代表団を憲法制定権力の代表として認めているのだ。他方、カントはこうした革命による主権の移行よりも、啓蒙君主による上からの改革の方を好んでいた。君主自身による改革の方が、革命よりも、国法的な正統性の継続の点で、問題がないからだ。しかし、それでは現在の主権者である君主は、国家体制の変革・改革の際に、同時に構成的権力の保持者でもあるのだろうか。シェイエスは(憲法によって構成される)主権と構成的権力の分割を何度も強調していたはずだ。ティーレによれば、カントもまた、やはり両者を区別している。カントによれば、

しかしあの根源的契約の精神には構成的権力の義務が含まれている。その義務とは、統治様式を根源的契約の理念に適合するようにし、一度には無理でも、統治様式を徐々に継続的に変革していき、それが唯一適法な体制と、つまり純粋な共和国と、効果において一致するようにすること、そして、単に国民を服従させるために用いられてきた古い経験的(実定的)な形式を、根源的な(理性的な)形式へと解消することである。そこでは、ただ自由だけが原理となり、あらゆる強制の条件となっているのであり、それは国家の本来の意味で合法的な体制には欠かせないものであり、ついにはその体制へと文字通りに導くのだ。

ここでは構成的権力の義務として統治様式の改革が述べられているが、それが現在の主権によって行われるものである以上、カントは構成的権力と現在の主権を同一視しているようにも見える。しかし、その直前で、カントはこうも述べている。

主権にとって可能でなければならないのは、現存する国家体制が、根源的契約の理念にまったく一致しない場合にそれを変革するということ、しかしその際に、国民が国家を構成しているということに本質的に属しているような形態であれば持続させてもいいということである。こうした変革の本質は〔…〕あたかも主権が自由に選んだり好きなようにしたりして、国民にどの体制を与えるのかということにあるのではない。というのも、主権が民主制へと変革しようと決定した場合でさえ、国民自身がこの体制を嫌っている〔…〕ために、主権が国民に対して不正を犯すということもありうるからだ。国家体制は、ただ市民的体制における根源的な立法の文字にすぎず、〔…〕古くから継続する慣習〔…〕のためにそれが必要だとみなされている限りは持続しても構わない。

ティーレによれば、ここでカントは「パターナリスティックに憲法を押し付けようとすることに対する最も鋭い批判者」であり、「国民の構成的権力の理論の信奉者」であることが明らかだ。というのも、主権は国民の同意なしには体制を変革することができず、正統性の観点からすれば、憲法制定的行為はただ根源的契約にのみ認められていて、事実上の主権者には認められてはいないのである。