'15読書日記43冊目 『戦争と平和の権利』リチャード・タック

戦争と平和の権利―政治思想と国際秩序:グロティウスからカントまで

戦争と平和の権利―政治思想と国際秩序:グロティウスからカントまで

人文主義と国家理性論の結びつきから、グロティウス・ホッブズ・プーフェンドルフ・ロック・ルソー・カントまで、自然法理論の生成と変容を描いている。ホッブズやロックらにおいて、自然状態における個人の状態から国家設立の正当性を論じるという議論があり、国際政治学の分野では、個人と国家をアナロジカルに捉えて国家間を自然状態として説明するというモデルが一般的である。しかしタックによれば、実は、自然状態的個人が発想された当初(グロティウス)、国家間の争いこそが自然状態の個人のモデルを提供していた、というものすごい逆転があった。グロティウスは国際法の父と認められているが、彼は人文主義の正戦論を受け継ぎつつそれを転換させ、国家にではなく(植民地会社の)個人にこそ自然状態では他人を懲罰する自然権があると主張し、当時のオランダの植民地支配を正当化した。タックの卓見は、こうした植民地支配を支えてきたイデオロギー自由主義自然法学と等根源的であるというものであり、それはグロティウスからホッブズ、ロックにいたるまで通底するものであるということを発見し、従来の思想史理解を転換(とまではいかないなら拡張)したことにある。こうしたモデルに対抗できたのは、皮肉なことに忘れ去られた思想家プーフェンドルフであった、という発見も本書の重要性を高めている。
本書の最後はカントについて触れられており、タックはカントの国際法理解を非常に冷めた目で見ている(あまりに冷めすぎているのではないかという気もしないではないが)。12月号の岩波『思想』の「思想の言葉」は柄谷行人が書いてる。カントの国際平和構想に触れて、その卓見を『普遍史の理念』に読み込むものである。この点は、タックが触れていてもおかしくないし、触れたほうが良かったところでもあるだろう。柄谷によれば

『永遠平和』はその後に大きな影響を与えた。が、最初にいったように、それは「平和論」に限定される傾向がある。実は、カントが『普遍史』〔『世界市民的見地による普遍史の理念』〕で指摘した問題は、平和論よりもむしろ革命論として重要なのである。というより、この二つは本来切り離せない問題なのだ。
〔...〕
カントが述べたのは、つぎのようなアンチノミーである。「完全な市民的体制」を創るような革命は一国だけでは不可能である。諸国家が連合する状態が先になければならない。一方、諸国家の連合が成立するためには、それぞれが「完全な市民的体制」となっていなければならない。

また、カントに関しては、勢力均衡の虚偽を暴露し、自由主義貿易あるいは「商業は習俗を温和にする」というような政治経済学的眼差しも目立つのだが、タックはあえてかそうでないのか、さほど触れていない。
というようなないものねだりはあるけれども、翻訳は非常にこなれていて読みやすいし、訳者注も充実していて勉強になる。
プーフェンドルフの義務論が(はやく)翻訳されるといいのになあ…