読書日記 「存在の耐えられない軽さ」 ミラン・クンデラ


存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

まず、こういうなんか直訳調のタイトルに惹かれます、傾向として。ミラン・クンデラという人はチェコの作家なんですが、プラハの春で弾圧され、フランスに亡命した後はフランス語で著作を発表しています。


この小説のテーマは「軽さと重さ」についてです。主人公で好色のトマーシュは一年間に8人(!)もの女と関係を持つほどの「軽い」男だったわけですが、テレザという女との出会いが彼に「重さ」を背負わせることになります。つまり、トマーシュは恋に落ちてしまうのです。プラハの春で共産化したチェコの文化人の悲劇や、Es Muss Sein!(そうしなければならない!)で語られる「重さ」から逃げようとするトマーシュが最後に求めたのは、「何の使命もなく、自由である」テレザであり、彼もテレザも共に何の強制からも解き放たれている「存在の耐えられない軽さ」になろうとしたのです。


存在の耐えられない、という言葉は一見良く分かりませんが、こういうことです。全ての人間や動物には有存在としての「重さ」があります。その重さによって生じる色々な責務や使命は、内なる心にEs Muss Sein!(これはベートーヴェン交響曲「運命」の最後で繰り返されるモチーフです)と呼びかけてきます。「〜しなければならない」という定言名法は、人に「重さ」を与える代わりに「軽さ」を奪います。また、重さはキッチュ(俗悪なもの)と表裏一体であり、トマーシュもテレザもそういった「重さ」から逃れて、限りなく無に近い存在、つまり存在し続けることが出来ないような「軽さ」を求めて生きたと言うことです。


この小説が僕に与えるものは非常に大きく、最近の読書の中ではかなりの上位につけます。僕の思いを雄弁に述べている本だと思いました。



399p

総計 6062p


そういえば、今日は来年から始まるゼミの面接がありまして、経済学部にいながら経済にあんまりやる気がないので(それにしても、みんな経営やら会計やらにばっかり行って!!)、「社会思想」の分野のゼミに入ることにしました。田中秀夫教授という日本で、スコットランド啓蒙思想を引っ張っている優秀な先生のゼミです。なんと学部生全部で4人!というかなり少数ですけど、こういうのって少数の方がいいよね?とか、しんどいかも、とか思うけど、まぁそれなりに興味ある分野なんで楽しみなのです。京大から虚学をとったら何も残りません。


今日の回文:不可能の寡婦