07読書日記34冊目 「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド 訳:野崎孝


グレート・ギャツビー (新潮文庫)

グレート・ギャツビー (新潮文庫)


読書会のために読んだ作品。中学生くらいの時に読んだはずだったが、全く記憶から飛んでいて、今読み返したほうが、ずいぶんぐっと来た。


翻訳の読みにくさも、最初だけで(後半になると人称代名詞が誰を指すのか分かりにくくなる嫌いはあるものの)、流れに入ってしまうとギャツビーの魅力と、主人公キャラウェイの冷静っぷりに連れて行かれてしまう。


ギャツビー、僕が心からの軽蔑を抱いている全てのものを一身に体現しているような男。


というキャラウェイの分析が全てを象徴しているようだ。そしてタイトルGreat Gatsbyという皮肉。ギャツビーの求めた愛とは、アメリカが全土を駆けて追い求めた夢に等しい、という分析がよくなされるけれど、僕はそんなギャツビーが大好きだ。


ギャツビーの死の場面では、もっとドラマチックな書き方ができたはずなのに、そこを劇的に描かなかったフィツジェラルドの才能に惚れ惚れする。ギャツビーとは、アメリカの夢であり、その墜落はあっけなく、まるで”どうでもいい”ものとして扱われるべきであり、そこに悲劇やドラマ、感動はなくていい。


それよりも僕がひどく心を動かされるのは、ニック・キャラウェイの人生達観だ。特に、小説の最後に、あたかもギャツビーの死に、そしてフィツジェラルド自らのスノッブに袂別をくれてやるかのようにかかれた下りは、アメリカが第一次大戦後に失った何かに関する、少々感情的な考察でもあるのだ。


「彼は、長い旅路の果てにこの青々とした芝生にたどりついたのだが、その彼の夢はあまりに身近に見えて、これをつかみそこなうことなどありえないと思われたにちがいない。しかし彼の夢は、実はすでに彼の背後になってしまったことを、彼は知らなかったのだ。・・・ギャツビーは、その緑色の光を信じ、僕らの進む前を年々先へ先へと後退してゆく狂操的な未来を信じていた。あのときはぼくらの手をすり抜けて逃げていった。しかし、それはなんでもない――あすは、もっと速く走り、両腕をもっと先までのばしてやろう・・・そしていつの日にか――

 こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れに逆らう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。」


英語でも引用しておこう。

"He had come a long way to this blue lawan, and his dream must have seemed so close that he could hardly fail to grasp it. He did not known that it was already behind him, --- Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that's no matter - tomorrow we will run faster, stretch out our arms further... And one fine morning -

So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past."


こうみると、最後なんかは名訳ですね。


262p

総計9859p