07読書日記51冊目 「個人的な体験」大江健三郎


個人的な体験 (新潮文庫)

個人的な体験 (新潮文庫)


もう三回くらい通読しているが、そのたびに勇気や絶望、深い驚愕や”深甚なる”昂奮を覚えてしまう。大江自身が言うように、これはイニシエーションの文学であり、成長物語に他ならないが、彼の言う成長とは全ての責任を自己に帰する、言うならば真実の人間へとひとり立ちすることに違いない。


新しい発見を、読むたびに見出すことのできる著作はまさに古典的名作である。


今回の通読によって、今までには気付かなかった二つのファクターを知ることになった。

一つは、通過儀礼に伴う現実逃避を全うするための底知れぬ破壊、性への欲求である。この性欲は並々のものではなく、相手を損なうまでに傷つけ、そしてただ自らのオルガスムを得たいという自己本位極まりないものである。主人公バードは、彼の成長の一過程においてまさにそのような局限の欲求にとらわれる。


もう一つは、多元的宇宙という、かなり大事な要素である。多元的宇宙とは今や量子力学の分野から離れても常識と化しつつある概念であるが、60年代当時において(ああ、まさしく朝永信一郎がノーベル賞を取った時代であろうか?)、この多元的宇宙に触れている進取の気象を、若干の嘲笑と共に見落としていた。大江の言うところの多元的宇宙とは、それまでに自分の持ちえた選択肢の中で、自分が選ばなかった選択肢についても同時進行的に別の宇宙が存在すると言う意味である。


バードは自ら赤ん坊を拒むことによって成立した宇宙を希求したが、結局は自らの変わり行く中で、なにを後生まもっていくべきものがあろうか、という根源的な問いにぶちのめされて、ついに自らの欺瞞を追い払い、勇猛な姿を志向するのであった。


この作品が今日でさえ、我々にもたらすものは重い。それは様々に存在する多元的宇宙の中の、今まさにその一つの宇宙で存在する我々は、もう多元的宇宙を生み出すのではなくて、その無限の宇宙生産をやめて、全ての責任を自分で引き受ける、正面きって受け止めることを衝迫するものであり、さらに言えば自らが選んだ宇宙において忍耐し続けることでもあるのだ。


希望と忍耐、どれほど甘い言葉をもってして、どれほど厳しい言辞をもってして、我々は進んでいかねばならない?


258p

総計14567p