08読書日記10冊目 「ヴェニスの商人の資本論」岩井克人


ヴェニスの商人の資本論 (ちくま学芸文庫)

ヴェニスの商人の資本論 (ちくま学芸文庫)


入試問題として有名な「ヴェニスの商人の資本」。このちくま文庫に収められているのは、短い論文がいっぱいで、その中の一本として「ヴェニス」があるわけ。


この本の中で彼の言わんとしたかったことを、むっちゃ思い切って三つくらいにまとめてみよう!(雑だね)


1.資本主義とは外部性を求めて運動を続ける存在である。外部性とは差異に他ならない。


マルクスいわく「商品交換は共同体の果てるところで」、すなわち共同体Aと共同体Bが接触する地点で始まるものである。それは異邦人同士の商品交換に他ならない。『多くの場合貨幣を・・・媒介にして行われる商品交換は・・・非関係の仕方』なのである。また、『利潤は、差異から生まれる』のであり、その差異を異邦へ求めたのが大航海時代であり、現代ではその価格体系による差異が新たな利潤を生むことにもなっているのである。あるいは技術による差異も、利潤を生み出しうる原動力となりうる。しかし、『ひとたび、資本によって媒介された差異は、そのことによってその存在そのものを抹消されてしまう運命にある。』このように『革新と模倣、模倣と革新』を絶えず繰り返し続けることこそ利潤を生み出す永久運動に他ならない。(大航海時代における地理的な差異も、いまではグローバリゼーションによって克服されてしまった。)


2.新古典派経済学の言う、「セイの法則」が成立する市場万能経済などはそもそも存在しない。


著者は『はじめに贈与ありき』という風に話し始める。詳論は略するが、貨幣経済がスタートするためにはまずはその国府中央銀行から各民間銀行へ「贈与」が行われなければならない。その「贈与」によって生まれた権力関係はその後も延々はまり続けるし、その歪な関係がハイパー・インフレや大恐慌の可能性となっている。つまり、古典派・新古典派の唱えるような、すべての平等なプレイヤーによる完全競争などは行われておらず、目に見えにくい形で「権力関係」が影響しているのであり、そういう貨幣経済においては供給が自らの需要を作り出すという「セイの法則」は成立しえず、総需要と総供給は常に乖離する可能性を持つといえる。


3.貨幣経済における「不均衡」が常態であることを示すのが「不均衡動学」である。


著者は「不均衡動学」という概念を提示する。それは、アダム・スミス以来の「自然」と「市場」が主従関係にあるという認識、あるいは「個人の合理的行動=社会の合理的利益」を為す「経済学的思考」をぶっこわすものである。すなわち、古典派・新古典派の信奉し、そこへの成立を夢に見る「均衡」状態を、むしろ異常な状態であるとみなすのである。貨幣経済は常に不均衡なのだ。そして、経済学とは、その不均衡を、「均衡」状態を「理念型」にして比較分析するものに他ならないというわけ。


おおむね面白かったけれど、ポランニーやらワルラスやらの議論をもっと知っているとより深まるんだろうね。それにしても「ヴェニス」は切れ味鋭かったし、経済学の虚構をぶっ壊すんだ、という気概が見えていい本でした。ただ、最後まで読むのはかなり力のいる仕事かも。「ヴェニス」だけでも読む価値はあるけど。


317p

総計2741p