08読書日記11冊目 「取り替え子」大江健三郎


チェンジリング 取り替え子

チェンジリング 取り替え子


東欧の伝説的な「取り替え子」をモティーフとして、とは言うものの、それは「再び産む」という少しズレた表現で置き換えられるのではあるが、人生の後期において、若かりし頃を振り返りつつ、死んでいった友人らに励ましを受ける、という希望を与えてくれる小説。


まとめられない小説は、要約しないことにする主義の私だ。この小説を要約しようなどという試みはしない。


ただ、人生の途上において、ある一つの芸術に心を奪われ、その感動を共にし、それを糧としてお互いの仕事を行っていくべき友人を、私は持っているのだろうか、と少し憂鬱になりもしたのだ。大江と伊丹十三の相互補完的な環は、伊丹の側の自殺で一方的に閉じられてしまったものの、その途上においてランボーの詩で引用されるような輝きを保っていた。ゴシップ的で攻撃的なマスコミにそれらが表面的に汚されようとも、それを苦ともしないで、本質的に分かり合えていたこと、その事実だけで十分なのであろう。


再び「取り替え子(changeling)」に戻って、感想を述べるならば、一度死んだとして、それを再び産むものもいるということだ。我々は死に際してその人の不在にばかりとりもなおさず悲観しがちだが、その死を励ましと受け取る視点も持つべきなのだろう。その人の分まで、というのではなく、その人が今度別の誰かによってまた産み落とされたときに、もう一度その人のために何かを与えられるように生きる可能性に賭けるべきなのだ。


読み終えたときに残る、なんとも形容しがたい深い感慨、立ち上る静かな煙とも言うべき印象、もちろんその煙は希望への狼煙に他ならないが、そういった深く身体が痺れる感覚を大江の小説は与えてくれる。大江はやはり小説家なのだ。


342p

総計3083p