08読書日記15冊目 「マグダラのマリア」岡田温司

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)

イブ―俗
聖母マリア―聖

マグダラのマリア(Maria Maddalena)―両義的なるもの、エロスとアガペーを表徴するもの

民間信仰にとって、マグダラのマリアは勇気を与えられる存在であったろう。彼女は肉の罪を犯しながらも、イエスにつくすことで、最終的には神への絶対帰依を成し遂げることができたのだった。つまり、彼女は俗から聖を体現し、エロースとアガペーを並存させることが出来たのだ。イエスの側近の男使徒の誰よりも、イエスに愛されたマグダラのマリアは、教会の神官への反発を思う民間に愛されるに至ったのだった。

そのように、聖俗両者の側に揺れ動く(vacillate)存在のイメージは、様々な西洋芸術のモティーフとなりえた。信仰と、不信の間を揺れ動く大衆を導く存在こそが、Maria Maddalenaなのだ。

彼女のエピソードとして、僕が、彼女をトリックスター的にみなすところのものは、次のようなものだ。それは、彼女がイエスの墓を辿っていくシーン。暗い洞窟の中を、怯えながらも何かに突き動かされるようにイエスの墓まで、松明を片手に腰を屈めて進んでいく。最初はイエスの復活を信じることが出来なかったのだけれど、それが本当のことだと分かると、イエスの足にすがりついていくようにして、喜びを見せるのだ。

女性は、本来両義的な存在であろう。それは、弱さと強さの間を自由に行き来できる、ということでもある。それらは、「神話」になりうる。

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総計4037p