08読書日記18冊目 「こころ」夏目漱石

こころ (新潮文庫)

こころ (新潮文庫)

夏目漱石を読むのはこれが初めて。小学校のときにこれを買って読みかけてなんと鬱々とした作品だろうと思って、途中で投げた。高校の教科書にも載っていたが、ほとんど読まずに定期テストを受けた。
今回、通読して、いたく心に迫るものがあった。それは、書かずにはいられなかった先生の心境、そしてそれに突き動かされるように汽車に飛び乗る私。
よくあるような「我執」の臭いは、読んでいて鼻についたし、先生は本当に弱い男だ。自らの死をもって罪を贖った彼は最後まで弱さを持っている。それは「お嬢さん」に対する秘密、である。お嬢さんに、彼自身の告白をせぬまま死ぬということは、もっとも彼の弱い部分だと思うのだ。しかし、それでも彼は「私」に対しては自らの過去を告白していく。これこそが、僕を奮わせた事実である。
先生は語った。それは「お嬢さん」にではないけれど、「私」に長く長く語った。語らずにいられなかった。自らの生を相対化し、その「生」の「生身さ」を殺していかずにはいられなかった。白紙を埋めずにはいられなかった。物語をつむいで自らを贖うことしかできなかった。それは、ある意味では逃げになるかもしれない。しかし、語り続けることでしか「生」を「死」へと転換できない。その転換はナラティブのできる最低限の贖いだ。
先生は「道」や「正義」「大義」に奉じた明治の知識人だ。明治天皇崩御とともに潰えるであろう明治の精神は、もはや次の世代には受け止められないだろう。しかし先生は「私」に自らの過去を告白する。なぜか。
それは「私」が「真面目」だからである。語ることで、白紙を埋めることで、「暗い人世の影を遠慮なく」「私」に投げかけることになる。その陰性を――あるいはそれこそが真実に他ならないが――受け止められるには、「無遠慮に」「温かく流れる血潮を啜ろう」とする「真面目」さが必要なのだ。先生の「血」は、「生」を「死」へと転換せしむる文学の力だ。過去を、物語を語る力だ。「死」を冷笑的に皮相的にとらえる「私」を諫める先生は、「死」を、そして「死」へとつながる「生」を「真面目に」考えることを求めて生きることを運命付けられた人間だ。
僕は、先生の贖罪の念によりも、死に逝く自らから残るものへの希望の「血」を顔面に吹きつけようとする欲求に心を打たれ、返り血を浴びて真実を、「死」を、本当の意味で「生」を、真剣に見ようとする「私」に、突き動かされたのだ。

301p
総計4856p