08読書日記19冊目 「フラニーとゾーイー」サリンジャー

フラニーとゾーイー (新潮文庫)

フラニーとゾーイー (新潮文庫)

本を継続して読み続けていると、不思議な事が起きる。それは、「連鎖」的なムード、ということである。全く異種の読書を行っていても、どうにもこうにもテーマが連関しているような気分になるのだ。そして、いやに感動する笑

ラニーは、まさしく今の僕だ。スノッブで知識偏向型、腐りきったエゴを持つ周囲の人々にうんざりして、自己の理想を追求したいのだが周囲の理解を得られず、神経衰弱になる。『エゴ、エゴ、エゴで、もううんざり。わたしのエゴもみんなのエゴも。誰も彼も、何でもいいからものになりたい、人目に立つようなことか何かをやりたい、人から興味を持たれるような人間になりたいって、そればっかしなんだもの、わたしはうんざり。』なのである。そういう風にして、全く塞ぎこんでしまうフラニーなのだ。

と、そんなフラニーにうなづきながら読み進めたのだったが、まだすごい奴がいた。フラニーの兄、ゾーイーである。全くこいつといったら、自分が「畸形」である事を知りながら、周囲のsnobbismに振り回されず、本当の「エゴ」とは何かを知ろうとする姿勢なのである。彼はフラニーの勝手に自分で塞ぎこんでしまうやり方を批判する。本当のエゴとは、イエスを思う個人的な宗教観に他ならないのである。(こうかくと全く論理が飛躍しているようで恥ずかしくなるが、まとめるのめんどくさなってこんなかんじ)

結局、ゾーイーは、フラニーに、周囲がどんなにスノッブであれエゴであるように見えても、自分の理想を自分で体得することこそが常に祈りを唱える事に他ならないわけである。

「ある完璧なものを――他人がそう見るのではなく、自分が完璧だと思うものを――狙うことなんだ。観客のことなんかについて考える権利は君にはないんだよ、絶対に。」

必読。

238p
総計5094p