08読書日記45冊目 「雪」オルハン・パムク

雪

作品において政治とは、コンサートの最中に発射された拳銃のように、耳障りだが、無視することもできないものである。

このようにスタンダールからの引用と共に幕を開ける、トルコの物語は、世界の「周縁」として同じように存在する日本人の心に多少なりとも染み渡るものである。宗教的イスラム、政治的イスラム共産主義、軍隊、自殺、そして何より「西」への憧れ。トルコにおいて、何ひとつとりえの無い街、雪深く消え去ってしまいかねない街、カルスに、詩人Kaがたどり着くところから小説は始まる。

カルスでは人々は、それぞれの「政治」を行い、宗教と政治が今や争いを激化させつつある。アラーを信じることを、その生活態度と政治を切り離した独立の英雄アタテュルクに対して、反動イスラムが、穏健派をなぶり殺しぬする。誰もが暴力に怯え、アラーへの祈りは、政争の具となる。

カルスの人民が、自らの生活を賭けて生きている中で、Kaただ一人が、「西側」であろうとし、アラーへ「無関心」を装おうと努める。彼は幼馴染のイペックにだけ、一方的な愛(それすらも幻であったが)を抱き、周囲に対して心に壁を築く。結局、全てが終わって、悲劇が収まった後、カルスの人民らはそこを去って「西」へ行ったKaを唾棄し、忘れ去ることになる。

主題は政治ではない。互いの心を本当に理解する事ができるのか?という、愛の問いだ。アラーへの愛ではなく(その点でパムクもやはりカルスに所属していないように思える)、他者への愛だ。他者の心を本当の意味で理解する事はできず、理解した気分になる事は暴力的な行為でもある。しかし、人は自らの心のうちを他人へと開く事でしか、そして開かれたものを素直に受け止める事でしか生きては生けぬ存在である。イスラムとしてトゥルバンを外す事を強制されたからでも、失恋のためでもなく、ただイスラムも左翼も国家も、彼女らの心を受け取ろうとしなかったがために、少女らは自殺したのであろう。

Kaの無関心、身勝手だけが、カルスの深く積もった雪の上に跡を残した。悲観的になり、「誰にもわかってもらえないのだ」と感じ、自らが不幸のうちにとどまり続けようとすることは、本当の「悲観家」ではない。悲劇を見ること、衝撃を受けることを拒み、身体を通じて経験することを恐れるうちに、「悲観的」なポーズで全てから逃げることは、臆病であることに他ならない。孤独の中で死んでいった詩人Kaが、霊感にうたれながら教えてくれたのは、そういうことだ。


ちなみにこの本は、今週土曜日に名古屋である、大江健三郎とパムクの対談を聞きに行くための予習として読んだ。トルコを、いや、現代世界文学を代表する作品の一つであろうと確信する。

572p
総計12150p