08読書日記54冊目 「自由はどこまで可能か」森村進

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

大澤先生のゼミで読んでいる本。リバタリアニズムの思想を、森村氏を通して導かれるように読む。

入門書とはいえ、ただ思想の紹介にだけでは終わらない議論の喚起性を持つ本である。リバタリアニズムの根本的思想は「個人主義」であり、つまり私的財産処分権を有する個人が、自由に私的財産を処分することを謳っている。その私的財産権を理論的に補強する考え方が「身体の自己所有権」である。つまり、自らの身体は自らの決定によってしか処分できないし、その処分のされ方は、他者の身体の自己所有権に基づく行動を阻害しないかぎり(パレート最適)、自由に行われるべきだと言う。

まったくラディカルにリバタリアニズム的思想が展開される。私はリバタリアニズム的な徹底した「自由」のあり方に好意的興味を覚えると同時に、現在進行中である非情な格差問題を思ったときに、倫理の非存在によって脅迫的に迫り来る市場原理主義についても、リバタリアニズムが寄与している可能性を考えると、手放しに礼賛できないような気もしている。

そもそも、「身体の自己所有権」テーゼは本当なのか。私の身体は、真に<私>の身体なのか。身体の自己所有権テーゼを論理的に押し進めたときに局限でたどり着くのは、自己意思による自己破壊(=自殺)の許容である。森村さんが、奴隷問題や臓器売買の問題を論じながら、その先にある自殺の問題を回避したのは、フェアではないだろう。私の内面には<他者>とも言うべき、<私>が存在している。この身体の自己所有権を揺さぶらなければ、リバタリアニズムをただ表面的に批判したに過ぎなくなる。(「生存のくじ」の思考実験は興味深い議論を喚起する、ということも付記しておく)

216p
総計14421p