08'読書日記63冊目 「炭素会計入門」橋爪大三郎

「炭素会計」入門 (新書y)

「炭素会計」入門 (新書y)

炭素会計、とは、大まかに言えば、個人・企業が年間どれほどの「炭酸ガス」を排出したかを計上し、排出量の基準値を超えていれば罰則を払い、下回っていればボーナスをもらえる、という制度である。

本書は、ごく入門用に書かれたもので理論設定などの詳述は無いが、「環境問題」を政治的アプローチとしてとらえる、そして日本が国際的なリーダーシップを握る、というような「青写真」を描いているところに、面白味がある。

とはいえ、本書を読んでいても、個人的な興味には引っかからない。とはいえ、(逆接の多用)、環境問題は極めて差し迫った問題であることは確かなのである。リスク社会学の基本的な考え方からいえば、環境問題に関しては数値的通説は無いが、確かにそれは存在していると考えるならば、「炭酸ガス」を出さないようにするのが、人類の生存としては最も論理的に純度が高いものであり、一方それが存在しないと考えて、今までどおりやっていくか、そのどちらかしか、選択肢はないはずである(論理的に言えば)。

しかし、環境問題はもはや、政治なのである。それを延々と語って聞かせるのが、本書だ。

今、私が考えているのは、国際的枠組みの形成としての「環境問題」である。極めてラディカルで大雑把な言いになるが、「環境汚染」あるいは「温暖化」を、未知なる「敵」として、その敵とは「地球の敵」としてとらえられるべきなのだが、その「敵」の存在を地球上の全ての人間が実感すべきではないか、ということである。すなわちそのような「仮想敵」を想定することで、地球として、ある程度の協調的姿勢が保てるのではないか、ということなのである。南北問題も、東西問題も、宗教問題をもこえた、人類の敵、地球の敵としての「環境問題」である。

西側諸国は、東側諸国、社会主義諸国に対面して初めて、協調的な姿勢を歩んだ。そのような歴史的な経験を思い返せば、「環境問題」を仮想敵として地球が定義すれば、地球はある程度、協調せざるを得なくなるのではないか。そして、もっぱら、仮想敵=「環境問題」に対して、最も取りうべきでない行為とは、つまり最大の環境汚染、環境破壊とは、「戦争」なのである。

198p
総計17506p