08読書日記74冊目 「内省と遡行」柄谷行人

内省と遡行 (講談社学術文庫)

内省と遡行 (講談社学術文庫)

日本のニューアカ世代の旗手、柄谷行人を始めて読んだ。初めて読むのにふさわしい、入門書的な著作ではなくて(僕は、いつも入門書的なもの、その作家の最初の著作を選ぶのが下手だ)、がっつり評論でして、全く途中まで反吐が出そうなほど難しい。

言語論とか現象学(こっちはまだついてけるが)などの分野の諸氏、ソシュールヤコブソン、フッサールデリダが登場して、これまた混迷を極める読解となりました。なんか、マルクスが出てきたときはほっとしたもん。浅田彰が解説で書いているように、この評論においては簡明な結論や考察はまるでなくて、ほとんど敗戦兵の手榴弾的に論陣が張られていきます。逃げても逃げたところで(つまり、自己言及のパラドクスに陥りながらも、それを何とかかいくぐろうとして)戦い続けていくわけです。

要するに、近代哲学、論理学は「第三者の審級」ともいうべき超越性に支えられた「均質空間」を基準に、つまり「外部」を「外部」として措定せずに「内部」へ深化していったのですが、その前提は常に何かを見落としてきたのではないか、というのが糾弾の内容だと思います。しかし、その「外部」へ手を伸ばすことは結局のところ、「内部」を拡張するほかはなく、ヴィトゲンシュタインラッセル的な自己言及のパラドクスに陥ってしまうのです。では、どのようにしてそのようなわなを潜り抜けて「哲学」を行うのか? 一つ、提示されているのはマクロ/ミクロの二元論を超えて、それを内部から突っ切るような<差異性>に着目する、という方法論です。(だと思います)。

あー、むっちゃ難しい。嫌やー、って何回も思ったけど、最後の「転回のための八章」において、議論がそれこそ転回されて、「教える」という立場に活路を見出しつつあるところで、本書は終わっています。だから、次に柄谷さんの本を読むとすれば、「探求」なのかしらん?よーわからんかったけど、この人は確かに哲学者であり評論家なのだと、その「厳密性」において思い知らされた気がします。読むべき本はたくさんある。「隠喩としての建築」「マルクス その可能性の中心」「探求?」「探求?」・・・おお。。

326p
総計20526p