08読書日記84冊目 「徳・商業・歴史」ポーコック

徳・商業・歴史

徳・商業・歴史

ゼミの教授の訳本。イギリス政治哲学思想史の大家の論文集。

これまでの思想史の書き方に対して、言語論的転回を推し進めるようなパラダイム史としての、語の使用法の遍歴を追う書き方で為されたところが、革新的であるという。パロールとラングの相互作用の歴史を書いたものである。それは一見デリダ的な脱構築の過程を思想史の分野にも応用したかのようである。このような方法論については非常に難しく、序章で詳細に語られてはいるものの、ソシュールの言語論なども踏まえて書かれているため、訳者による解説を援用して理解することしかできなかった。

彼がそのような言語論的転回を持って思想史を著述する時に、輝かしく定式化されるのは「ヒューマニズム」の語の使用法の変遷である。つまり、一方で古典共和主義的(ルネサンス期のフィレンツェ的)なシヴィックヒューマニズムがあり、もう一方で法学的なヒューマニズムがある。前者は積極的自由を享受する人間、すなわち政治的動物であり、市民的生活において実践される活動的生活によって定義付けられる。このような共和主義的市民は土地(不動産)を持ち、共和国(公共善)への献身を意味する「徳」を性質として持つとされる。一方、後者においては、人間は消極的自由によって定義され、支配者から自由であり、各人の事柄を実行する権利を持っている。この「法」概念は共和国のものというよりも帝国のものであり、ブルジョワジーの語源ともなるものである。共和主義的「徳」が政治的なものに重点をおくのに対し、帝国主義的「法」は商業的なものへと重心を移す。このような市民的徳、シヴィック・ヴァーチュが法による事物への権利を意味するヒューマニズムに取って代わられていくにつれて商業世界が台頭し、やがて国家が「公信用」の名の下に国債が発行されるようになれば、その「徳」は腐敗し、議会と国王の癒着や軍事との癒着を招くようになる。少し議論を遡れば、そのような「徳」は「作法」の概念の遵守によって発動される。倫理的な習俗と法学的な慣習が結合した概念が「作法」である。このようにポーコックはマルクス主義的な唯物論で塗り固められたヨーロッパの歴史を、「徳」(「作法」)の歴史として著述しようとするのである。

本書を読むには、イギリス思想に精通している必要があるが、私はロックもヒュームもスミスもバークもまともに読んだことが無いので、そしてイギリスの歴史に疎い(というより最小限の知識すらない)ので、読解は苦痛を伴ったが、それでも、第一部第一章「徳、権利、作法」や第二章「権威と所有」は、読み応えがあったし、確かに得るものがあったと思わされるものである。

421p
総計24124p