08読書日記103冊目 「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日/表象と反復」マルクス/柄谷行人

ブリュメール18日 (平凡社ライブラリー)

ブリュメール18日 (平凡社ライブラリー)

マルクスの政治ジャーナリズムてきな古典の新訳に、柄谷行人の「表象と反復」が付されてある。ルイ・ボナパルトとは、ナポレオン・ボナパルトの甥、所謂ナポレオン三世のことであり、彼が1851年十二月二日のクーデターにより帝政を開始するに至った歴史過程を描いている。

 王が革命によって殺されて共和政が開始されるが、しかし次いである独裁者によるクーデタによりその共和政が廃される。そしてクーデタを成功させた独裁者は「帝政」を行う。そのようなストーリーがカエサル以降、ナポレオン・ボナパルト、そしてルイ・ボナパルトによって反復されることになる。共和政議会とは、政治体制において高次の概念であるが、その共和政議会を得ておきながら、どうして独裁者による帝政に回帰することになるのか、ということがマルクスの政治論の射程に入る。端的には、共和政議会において階級対立による均衡状態が生まれるが、そのような衝突状態ではなにも決められない。ブルジョワジー対プロレタリアという階級対立はしばしばどの社会でも出現するが、その双方はお互いの出現に依存して存在しており、対立状態にこそ「階級」が出現している。しかし、実際にはこの階級に代表されない、階級にもなりえない階級が存在している。このような「声なきもの」の声が代表されるためには、それを代弁する、というような独裁者が望まれ、議会における均衡状態を調停することが求められるのである。

 柄谷曰く、代表性が孕む表象の「穴」こそが、このような独裁制を招く。つまり、ある階級の中の人々と階級を代表する議員の間には、乖離があるということである。それはシニフィエシニフィアンの乖離と類似している。その乖離こそが独裁の萌芽となるのであった。

 実に饒舌に哄笑的にルイ・ボナパルトの手法に引っかかる「大衆」の無知を皮肉るマルクスの記述は、読み飽きるということを知らない。柄谷の解説も極めて明快で鋭い。平凡社ライブラリーは値段は高いが読みやすい。十五周年ということで出ているガタリの「三つのエコロジー」も興味深そうである。

317p
総計30106p