08読書日記112冊目 「桜の園・三人姉妹」チェーホフ

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

今年に入ってチェーホフの四大戯曲を全部読んだわけだが、どれもこれもが珠玉であった。チェーホフの劇はアンチ・クライマクスの手法と共に、静劇と呼ばれ、劇中にはなんら事件らしい事件はおきない。

チェーホフが真に文学者でありうると感じるのは、彼が女性の語りによって未来への希望を、生への希望を託すからである。『かもめ』のソーニャにせよ、『三人姉妹』の姉妹にせよそうである。圧倒的な悲劇に見舞われていて、絶望的で陰鬱とする中で、彼女らはもう少し生きてみよう、とか、きっと時がたてば分かるときがくる、というように積極的に運命を受忍するのである。

このように女性人物が男性とは違って生の辛酸を理解すると同時に生への希望を同時に体現していることと、チェーホフの静劇の手法は関連している。静劇における幕外での事件とは、もっぱら男性を中心にした社会の悲劇であり、それは死すら導くこともあるような類のものである。しかし、そこで扱われる事件とは男性による男性のためのものであって、そこから排除されているひとらこそチェーホフ劇の女たちである。文学者ともあれば男性による男性のための悲劇を描いて満足する、すなわち男性主人公の死を持って悲劇の体をなす劇作をやりかねないのではあるが、チェーホフにおいては、そのような死を持って終局される劇はありえない。わたしはこう思わずにはいられない。すなわち、チェーホフが伝えようとしているのは、悲劇的な終局をもって死ぬことよりも、その死から取り残されてたった一人でも孤独でもなんとか生きていかねばならないことのほうが惨めであり本当の悲劇である、ということなのではないか。しかもチェーホフがその劇作においてするのはただ取り残されて絶望するのではなく、回り始めた歯車に逆らうことをせずに、仕方ない、と言い切って残された生を生きつづけることの勇気と愛情なのである。

252p
総計32544p