09読書日記23冊目 『マキァヴェリアン・モーメント』J.G.A.ポーコック

マキァヴェリアン・モーメント―フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統

マキァヴェリアン・モーメント―フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統

ようやく懸案のポーコック『マキァヴェリアン・モーメント』を通読できた。二段組の本は本当に読むのが疲れる。通読しただけなので、これから一章ごとに再読していく。

『現代によみがえる共和主義思想』とは田中秀夫が社会思想史研究(2008)で寄稿している論文の題名であるが、その共和主義思想を英米政治学の潮流に位置づけたのがポーコック、スキナーらのケンブリッジ学派である。スキナーとポーコックの共和主義理解には差異がある(スキナーはポーコックほどcivic humanismということを言っていないようだ)。しかし、根本的な社会思想史の塗り替えを行ったとして彼らは現代にまさしく共和主義をよみがえらせ、議論の一つの軸を作った。

本書で書かれるのは、ポーコックも「回想」で述べているように、共和主義、あるいは市民的人文主義civic humanismのトンネル史である。アリストテレスからアウグスティヌスを経て、中世スコラ政治哲学と、キリスト教的時間概念を把握した後、ルネサンスに至ってアリストテレス政治学が危機にあったフィレンツェにおいてマキァヴェッリを通じて再認識される、という第一部、第二部がある。そして第三部では、そのようにマキァヴェッリによって議論されたアリストテレス的古代共和主義思想が、ブリテンにおいてハリントンにも見られるということ、そしてさらに無血革命、名誉革命を経て受け継がれたそのハリントン主義が、やがてアメリカ独立革命の指導者らに持ち越されていく過程が描かれる。

スキナーやポーコックがこれまでの政治思想史を塗り替えるように思われているのは、彼らの歴史叙述の仕方である。つまり、彼らはその時代に知識人やジャーナリズムを覆っていた言説空間を支配している概念を範型的paradigmaticに追っていくことで、これまでの思想史の叙述を一変させたのだった。それはすなわち、自然権/社会契約論的な英米近代史の叙述からの脱却であり、むしろその裏側で趨勢を誇っていた共和主義思想/市民的人文主義を追っていくことであった。共和主義思想で、あるいは市民的人文主義で語られるのは徳の概念である。危機的状況にあったフィレンツェの統治に際してマキァヴェッリが『君主論』や『ディスコルシ』で描いたのは、ヴィルトゥvirtuとしての徳であった。マキァヴェッリによって(新しい)君主が持つべき徳というのは、運命の女神(フォルトゥーナ)の不安定な支配を抑制するべき力であった。その徳とは極めて動的なものであり、アリストテレスが研鑽したような市民の徳とは異なるものであった。市民の徳virtusとは、公共善を理解し、自ら献身的にそれへと参入するあり方を示したものであったが、君主が持つべき徳virtuはもっと動的なるものであった。そこではvirtusとvirtuの拮抗が見られる、というのがポーコックの診断である。

本書はcivic humanismの概念をハリントンに見出し、それまでならロック『統治論』だけを古典的とするような社会思想史にあたらしい説明様式を提示している。ポーコックの議論は極めてアレントに親和的であるように思えるし、彼自身もそのように述べている。現代においては、もはや所有の権利=法/消極的自由/帝国という三幅対が、思想の地平を覆っているように思われる。しかし、むしろ参加の権利/積極的自由/共和国という別の可能性を見出すことが、ポスト近代において何らかの思想的解決をもたらすのではないかとわたしには思われる。『マキァヴェリアン・モーメント』は徳がいかに商業に取って代わられ、腐敗の概念と共に歴史に霧散してしまったか、ということをパラダイム的叙述によって綿密に説明していく。運命に対抗すべき徳が、腐敗に対抗すべき徳となり、その徳が保証されるのは動産所有による独立(非依存)の状態のみであったのだが、その動産所有こそは商業をも稼動させた一因であり、商業はむしろ社会に均衡を与える動的なvirtuとして認識されてしまったこと、本書の歴史を本当に大雑把にまとめればこうなろう。ポーコックの記述は極めて弁証法的であり、その博学傍証ぶりや、難解な一文の論理構造は、とっつきにくさも与えうる。そのせいか、日本においては、本当にポーコックが消化されたような学問的ヒロイズムは登場していないようにも思われる。そして、さらに、翻訳者の田中秀夫もあとがきにおいて述べていることだが、日本においてcivicという訳語がいかに難しいか、単純に「市民」と訳したのでは伝わりにくい思想伝統がある、ということも、まだまだ考察の余地があるだろう。

541p
総計8185p