09読書日記28冊目 『貨幣論』岩井克人

貨幣論 (ちくま学芸文庫)

貨幣論 (ちくま学芸文庫)

マルクスの『資本論』において、商品としての貨幣が出てくることに着目しながら、マルクスが提示した論理装置をマルクスを乗り越えながら稼動させた先に資本主義のシステムがあることを暴く。大澤真幸の「第三者の審級」理論にも援用されることの多い岩井克人であり、いわば「批評空間」においてニューアカの一角を担った思想家である。とはいうものの、現代思想的なペダンティックな議論は少なく、むしろ論理的なスリルに満ちた『貨幣論』であるとおもう。

価値形態論において、マルクスは価値の実体として超歴史的に表れる労働時間を規定し、価値の形態として歴史的な文脈に制限が与えられる交換価値を規定した。「交換価値は価値の現象形態にすぎず、<価値>ではない」。しかし、岩井によれば、このような価値形態論は、マルクスがもう一つ信奉していた労働価値論が軛となって、論理構造に矛盾をきたしている。価値体系とはモノとモノのあいだに成立する関係の総体であり、この中でモノが商品としてたち表れるのであるが、マルクスはそのような価値体系のなかに労働価値論が最後まで機能するような穴を残していた。つまり、貨幣をも「商品」=労働の産物だ、としたのである。しかし、岩井によれば、価値形態論を推し進めたとき表れるのは、循環論法的に繰り返される全体的な相対的価値形態と一般的な等価形態である。つまり、貨幣を媒介にして、価値体系=モノを商品にする世界を成立させるような循環なのである。貨幣こそは、相対的価値形態と等価形態の二役を演じさせられている媒介に過ぎないのである。マルクスが彼の労働価値説を最後まで保持しているために、貨幣に実体的な存在理由を与えたのに対して、岩井はそれを捨て、価値形態論の論理を貫徹させるのである。

では、このように商品ではなく単なる媒介としての貨幣はどこから生じたのだろうか。岩井は貨幣商品説も、貨幣法制説も、どちらもありえた歴史なのだと論じた上で、むしろ貨幣が「貨幣」という商品的な価値を持っておらずただ流通することによって価値を持つという逆説的な性質を持つにいたるのは、歴史の奇跡としか言いようがない、という。マルクスは貨幣をアリストテレス的な形而上学に回帰した労働時間(価値)の記号とみなして、記号するもの/されるものという構築を行ったのであったが、岩井が価値形態論を推し進めたところに表れるのは貨幣が「無い」ものから「有る」ものを作り出せるという奇跡なのであり、いわばマルクスの貨幣記号論脱構築するものであった。

237p
9501p