09読書日記41冊目 『冗談』ミラン・クンデラ

冗談 (Lettres)

冗談 (Lettres)

ミラン・クンデラは何度もいうように、ここ数年僕の師匠でありヒーローである。『存在の耐えられない軽さ』や『不滅』『生は彼方に』などは文庫になっていて手に入りやすいのだが、この『冗談』という畢生の作品op.1は、みすず書房から出版されている単行本しかなく、今回古本屋で手に入れて、この数日で一気に読みきった。忘却というのはクンデラが終始テーマに沿えている概念であるが、本書は真正面からこの忘却―冗談ラインに立ち向かったまさに最高の小説である。そしてこれは愛のフーガでもある。


忘却はそれ自体恐ろしいものではない。むしろそれを気付かない者らにとっては、人生の波を乗りこなすに当たって必要不可欠のものである。忘却は、それに気付かない、という条件付きで、人生や歴史を支配している。しかし、一度忘却から取り残された者は(僕はここで、ふつう使うように「取り残された」という語を使ってはいない、たいていの場合、それは「時間から」や「歴史から」「取り残された」という風に用いられるべきであろう)、始終あるところ、忘却以前にしがみついていなくてはならない。忘却とは麻薬であり、終わってしまった愛を回顧するときの冗談めかした雰囲気と合致する。何かを忘れる、ということ、そしてその忘れてしまった内容を再び思い出すこと、これらは全く「冗談」みたいなものである。人は絶えず忘却の兆候に犯されている。忘れてはならないことを尻から忘れ、忘れてしまいたいことを絶えず思い返す。悲劇そして笑劇とは、忘れてしまいたいこと、しかし永久に刻印されてしまったものが、他人(それは時間でもあり歴史でもあり外部のものでもあるのだが)にとって全く「覚えるに値しないもの」、「忘れてしまったことさえ忘れてしまうもの」として取り扱われるということに、当人が自覚してしまうことである。


忘却から逃れて唯一、居残り続けるものとは想像の世界である。そして想像の世界において人は、故郷を目指し、かつてあってはならなかった自分を、取り戻そうと焦燥するのである。


この本を読み終わって、クンデラの打ち立てた忘却からの砦に逃げ込んで、あらゆる「冗談」の攻撃から身を守ろうとしていたまさにそのとき、僕の携帯電話が騒々しい音を立てた。それは僕が「忘却」したいとのぞんでいるまさにその人からの電話であり、迷った挙句僕はその電話に出た。少しとりとめのない話をしながら僕は、ああこれまた僕の思いは「冗談」になってしまった、と思わざるを得なかったのである。


380p
総計13333p