09読書日記58冊目 『自由論』アイザイア・バーリン
- 作者: アイザィア・バーリン,小川晃一,福田歓一,小池銈,生松敬三
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2000/06/06
- メディア: 単行本
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しかし、現在ではこの消極的自由は比較的論難に曝されているといってもいい。リベラリズムはコミュニタリアニズムであるとか、ネオ・リベラリズム、ネオ・コンサヴァティズムらと論争を繰り広げてきた。中心的人物はロールズであり、あるいはハーバーマスである。特に有効な批判を投げかけてきたのはコミュニタリアンらであり、彼らは消極的自由といった古典的自由主義の自己が「負荷なき自我」であるとし、その「負荷なき自我」を中立的な観点から共通する利害だけに絞って政策を行うということでは、社会的連帯などは生まれず、分断的な状況が起きているのだと主張する。もちろんそれに加えてリバタリアニズムのような市場中心主義も、元をたどればこの消極的自由のみの賞賛によるのである。それだけに、消極的自由の概念は分が悪い。
バーリンがいみじくも指摘しているように、彼の積極的・消極的自由の区分は資本主義の勃興以降、つまり近代以降のものである。サンデルらコミュニタリアンが掘り返そうとしているのが、共和主義的自由(「自由主義に先立つ自由」スキナー」)なのである。それは積極的自由の概念と似ている部分もある。リベラルな社会に住む私たちが、消極的自由を放棄していいはずはないし、その消極的自由が可能となっている前提をもう一度点検することが、今なおat stakeな問題なのである。
とは言うものの、ミル『自由論』にせよ、バーリンの本書にせよ、非常に西洋思想に含蓄が深く、読み応えのあるものであるし、かつバーリンが轟々と浴びている批判の割りに、多元的価値観の主張はやはり自由主義の規定に据えられて当然のものであると思う。ちょっと感じたのは、長谷部恭男の議論と通底するのだろうなあ、ということ。役が古くなってきたようであるし、かつ、本書が5000円近くするということもあり、岩波文庫かちくまあたりで訳を一新して文庫化して欲しいと切に感じる。
522p
総計19675p
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