わてもうあかんかもしらへん

うぎゃーーーー。本読むのもうしんどい。魂に良いことだけしたい。頭でモヤモヤしてることをどう論文に仕上げればいいのか全く分からない。色んなところに目配りしちゃうと八方ふさがる!

↓の『「公共性」論』を読みながら考えてたんやけど、大衆批判は簡単やし、文化人あるいは芸術人としてはそのスタンスでいいんやろうけど、学者、しかも政治思想史専攻の人が大衆批判にくみするとイクナイんだなあー。批判すべき大衆をつくりあげてる消費社会ないしは大衆社会、その土台にある資本主義をこそ批判する、というのはよくあるスタンスなんやけど・・・。その消費社会/大衆社会/資本主義を悪玉にしたとして、じゃあ善玉としてどのようなオルタナティブを出していくのか、ということが難しい以上「悪から善をつくるべきだ、それ以外に方法がない」ということにならざるを得ない。なんとかそういう袋小路を脱してオルタナティブをつくっていきたいけど、難しい。

やっぱり芸術家になれってことか。すべてを捨てて、小説を書けってか。
自分を追い詰めるまで、何かをしないと、すべて意味がない。