09読書日記71冊目 『全体主義の起原1・2・3』ハンナ・アレント

全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義

全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義

全体主義の起原 2 ――帝国主義

全体主義の起原 2 ――帝国主義

全体主義の起原 3 ――全体主義

全体主義の起原 3 ――全体主義

やっと読みました。とにかく1の反ユダヤ主義がきつかった。そこで一ヶ月くらい足止めされてた気がする…。全体主義の起原と成立を扱ったこの大著は、確かに特殊歴史的ではあるのですが、アレンとのこれ以後の著作へと展開されるものがぎっしりと詰まっている。その意味で「アレントの起原」的な著作でもある。アレント自身のユダヤ人としての経験と歴史認識の間でのバランス感覚というものは、並外れている。全体主義という人類の負の歴史をどのように理解するのか、この本はそれに全く哲学的に、且つ、真摯に取り組んでいる。歴史を理解するということは「事件がわれわれの肩に載せた重荷を良心的に検討し担う」ことであって、「事件の存在を否定するのでも、現実に起こったことは別の形では起こりえなかったのだとでもいうように意気地なくその重みに屈するのでも」ない。理解するということは「現実に成心なく、しかし注意深く直面し、抵抗することなのだ。」

とりあえず、書くべきことは卒論の方に回して、ここには書かないが、というかこんな大著をまとめようったってしんどいばっかりなので。なんしか、二巻の終わりあたり、人権とディアスポラの議論から三巻にかけては本当に味読できて面白かった。稲葉振一郎の『「公共性」論』を読んでいたのが導きになった。が、彼とアガンベンに抗して独自性を持ってアレントを読まないといけない気がかなりする。三巻を読みながら思ったのは、アイザイア・バーリン「二つの自由」の「〜への自由」批判は、アレントが本書でいっているイデオロギーの自己満足批判に他ならず、本質的には共和主義的な参加の自由の批判やアレントの自由論批判とはちょっとずれてるんじゃないか、ということ。それからミラン・クンデラ『冗談』『存在の耐えられない軽さ』あたりを強く思い出して、少々感動した、ということ。

今からもう一回最初っから読み直して論点を洗い直しまーす。おやすみ

227+290+327p
総計23893p