09読書日記74冊目 『国家を歌うのは誰か?』ジュディス・バトラー&ガヤトリ・スピヴァク

国家を歌うのは誰か?―グローバル・ステイトにおける言語・政治・帰属

国家を歌うのは誰か?―グローバル・ステイトにおける言語・政治・帰属

脱構築派のフェミニストの両横綱とも言うべき(?)お二人の対談。どこで、どういうコンテキストで行われたのか全くわからないままにその対談を読むのはきついものだ。もっぱらバトラーがリードしたアレントの人権の概念について。

「国家による封じ込めと追放が同時に行われる」という権力のあり方をアレントの難民と人権の解釈をベースに考察すべきだ、とのこと。アレントは国家による追放が国民国家の権力のあり方だ、ということを言っていたのだが、バトラーはむしろそういう難民=非市民を「封じ込め」ておくことこそ、国民国家の権力なのだと論じる。「重要なことは、確固とした国家から抽象的な遺棄状態へという移動を前提にすることができない」という現代の権力の構図なのである。アレントは公的領域には公民権のない者や無給労働者、被抑圧者が含まれておらず、そのような人らが潜在している私的領域は政治的ではない、と考えた。しかしバトラーに言わせれば、政治はそういった被抑圧者を措定しつつ私的領域へと排除するものであり、彼らは国民国家の政治権力によって生産されているのである。被抑圧者らは無国籍者として、あるいは非市民として排除されつつ、内部化された外部として、包摂されている。

107p
総計24574p