09読書日記83冊目 『共和主義の法理論』大森秀臣

共和主義の法理論―公私分離から審議的デモクラシーへ

共和主義の法理論―公私分離から審議的デモクラシーへ

リベラリズムによって趣味・趣向の一つにまで格下げてしまった感さえある、市民の政治への関わり。「失われた遺産」をどのように取り戻すのか、政治哲学は復権されうるのか。この問いに「共和主義」という角度から迫ったものが、本書である。
本書は、古代ギリシア・ローマからマキアヴェリ、ハリントン、アメリカ革命、アレントへと受け継がれた共和主義の理念を、現代的に再生するにはどうすればいいのか、また再生する意味はあるのか、という点について考察を加えている。中心的になる課題は、「法の公共的的正統性」の問題である。ロールズリベラリズムでも、コミュニタリアニズムでもなく、審議・参加型の共和主義こそが、法の公共的的正統性に光を与えるのだ。筆者によれば、審議・参加型の共和主義を現代に理論的に復活させたのは、フランク・マイケルマン(アメリカの法学者)とハーバーマスである。

内容的には、共和主義の整理、ロールズリベラリズムの批判的考察、マイケル・サンデルの徳性・陶冶型共和主義への批判的考察、そしてマイケルマンを補助線にしてハーバーマスが『事実性と妥当性』で示した討議民主主義論を読み解いていく、というもの。非常に明快で分かりやすい論理展開であり、初学者でも断然読みやすいと思う。リベラリズムコミュニタリアニズム/リバブリカニズムの三福対をまとめて理解できると思う。あと、ハーバーマス『事実性と妥当性』を読みきる前に、読んでおいてよかったと思った(笑)。


とはいうものの、参加・審議型の共和主義は、どのようにして政治の空洞化、政治への無関心と向き合うのだろうか。「市民的徳」という共和主義の言語は、そこには取り入れられてはいない。古典的共和主義において、政治からの自由は、一種の腐敗・堕落でさえあった。このように強い道徳的な公共精神は、もはや自由主義的な自由をもその枠組みに取り入れた審議型共和主義からは、無視されてしまうのだろうか。

276p
総計28326p

他に読んではる人
http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20061113
http://d.hatena.ne.jp/TamuraTetsuki/20060708
どちらも専門家の人たちでした。僕もこんな短いわりにちゃんとしてる書評書きたい笑(←なら努力せよ)