山田詠美に続き、こちらも三篇の短編集。『
ABC戦争』『公爵夫人邸午後のパー
ティー』『ヴェロニカ・ハートの幻影』。
蓮實重彦が解説を書いているのには笑えるが、というのも初期の
阿部和重はどうしようもなく蓮實文体なのであるからだが、それにもかかわらず疾走感がある。それは、物語の冒頭で延々書き継がれる蓮實文体が、途中から自然な形で短くなっていくことで得られるものであろう。本書の三短編は、『
インディヴィジュアル・プロジェクション』や『
アメリカの夜』と同様、物語の記述そのものに主題をあて、作者・物語・読者の三副対をごった混ぜにして見せる。物語そのものの面白さは、
阿部和重の小説に付着する表層として指摘することはたやすい。しかし、彼の小説が物語ろうとするものは、極めて不自然である。おそらくその不自然さにこそ、面白さの根源が宿っているのであろうが、それを考察するには、朝六時と言う時間は不適切だろう(と言って逃げることにしよう)。とはいえ、『
ABC戦争』で繰り広げられ、果ては『
シンセミア』で壮大な仕掛けとして機能する、「散種」と「逸脱」「
差延」というデリディアン的な戦略は明らかであろう。彼が一貫して負い続けているのは、小説の作者として物語る=書くということの暴力性を認識しながらも、しかしなお書かねば語らねば落ち着かないという、ホモ・ロゴス、あるいは
ストーリーテラーの悲痛さなのである。僕は、大江『
万延元年のフットボール』、
夏目漱石『こころ』にも通底するものを感じる。
317p
総計31198p