09読書日記96冊目 『水死』大江健三郎

水死 (100周年書き下ろし)

水死 (100周年書き下ろし)

久しぶりに、小説を一晩で読みきった。大江健三郎の「晩年の仕事(late work)」の一環。『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなわ、私の本よ!』『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』に続く、期待の新作である。今年出版されたものを読むのは、これが初めてかもしれない。年の暮れに、実家の台所で一人石油ストーブの前で、煙草を吸いながら、このような芳醇な読書体験によって、一年を締めくくれるとは、うれしいかぎりである。そして、なにより本作『水死』は強く傑作といいうる作品なのだ。


錯綜して入れ子状になった筋書きを持ち、常に対位法のように作中人物の声がポリフォニックにこだまする、『水死』の主題を読み解く鍵となるのは、夏目漱石『こころ』の「明治の精神に殉ずる」ことの読み直しである。大江と思しき老小説家・古義人は明らかに、自分の父と「先生」を重ね合わせて見ている。果たして「先生」は明治の精神に、父は超国家主義の精神において自決したのだろうか。あるいは、「先生」も父も個人的な内面から、自殺したのだろうか。本書において、その読み取り方は幾重にも可能だ。だが、最後には、父と重なり合うようにして大黄さんが、ごく個人的な感情、ウナイコを守る、父の弟子であるという個人的な感情から、古河を殺し、森々と苕々と森へ分け入っていくのだ。そこには、明治の精神も、超国家主義の精神も入りえないごく私的な犯罪と自決という贖い、個人的な感情を貫くという意志があらわれているようでもある。もちろん水死というメタファーによって、肉体が沈みながら魂が浮かび上がるという、苕々と森々の対比は美しく効果的だ。


大江健三郎が『水死』において書こうとしたことの本質的な部分は、戦後民主主義を生き抜いてきたわれわれにも、没入的で妄信的な感情を自らの個人的な部分に抱いてしまうことがありうる、そしてそれは国家であれ天皇であれ外部の介入は許さない、ということではないか。小説中にマサオが言うように、われわれの中には「教条主義の政治感覚とは別の、もっと深くて暗いニッポン人感覚」が根ざしている。だが「深くて暗いニッポン人感覚」とは何か。ふつう、「ニッポン人感覚」とは、何かあれば主体性の無いままに、ある種のイデオロギーを盲信し、しかしながらそれは身体に根ざしたものではなく、何かの機会に簡単に「転向」を促す性質のものとして受け止められてきた。丸山真男の言うように、責任の中心を天皇に配置して、日本人は大戦の責任を負わずに、超国家主義から自由民主主義へと転向したのである。古義人が二つの昭和の精神を生きた、と大黄さんが言ったとき、そこにはどちらにも簡単に熱を入れるが、また容易くその思想を捨て去り新しいほうへと移り行く、移り気で気まぐれな、しかもそれでいて執拗で不寛容な「ニッポン人感覚」が言われているのだ。


だが、しかし、『水死』に出てくる印象的な人物たちが示すのはそのような通俗的な「ニッポン人感覚」ではなく、「もっと深くて暗い」感覚なのである。それを持つ人びととは、ごく個人的な思いを通して人生を生きてきた人、「先生」であり古義人の父親であり、そして大黄さんである。また、新しい世代に生きるであろうウナイコやリッチャン、そしてアカリさんである。後者はともかく、しかしながら、「先生」も父も死んでしまった。個人的な思いに入れ込みすぎて、素直すぎて彼らは殉死したのである。自分の思想、ごく個人的な思いに素直でありすぎれば、どうしても「殉死」せざるをえなくなるだろう。かつて『万延元年のフットボール』で鷹がそうしたように、あるいは『懐かしい年の手紙』でギー兄さんがそうしたように、自らの「ほんとうのこと」に忠実であろうとすれば、それは究極的には自殺するに至らねばならないのである。そして、大江・古義人自身にもそのような「深くて暗いニッポン人感覚」があるだろう。だが、それは、いまさらながら大江の表面的な行為には現れてこない。障害を持つ自分の息子に対して暴言を吐いてしまったり、「水死小説」が頓挫し自分の死支度もできないで無気力でいる彼には、そのように「深くて暗い」感覚は閉ざされ、むしろ日本人のありきたりな「ニッポン人」感覚が表徴するのみである。しかし、彼はそのようでありながらも、人生の折々で、そのように「深くて暗い」感覚に犯されかけてきたのだ。そして、その常、自殺に至らしめようとする、崩壊へ至らしめようとする、その「深くて暗いニッポン人感覚」から、身を守ってきた。

These fragments I have shored against my ruins.(こんな切れっぱしでわたしはわたしの崩壊を支えてきた)

もちろん、その「切れっぱし」とは、「おれがこの森から出て東京に行き、これは自分が本当に求めていたものそのものではない、という気持ちを引きずりながら勉強し、それを通じてわずかに得たものを頼りに働いて」きた成果、自分の小説なのである。もちろん大江・古義人には「じつに奮励努力はした、怠惰である余裕などなかった」と言いうるだけの実績がある。しかし、彼はまだ「もっと深くて暗いニッポン人感覚」を持っていた父やギー兄さん、吾郎、鷹といった人びとのように「ほんとうのこと」を小説には書けてはいない、という思いが強いのだ。しかし、それでも何がしかを、それが切れっぱしであっても書くことによって、崩壊を乗り越えてきた…まだその崩壊を支えるために、書かねばならない、ということなのである。大江は、自らの「切れっぱし」(なんという痛快で自虐的、かつ身に堪える表現だろうか)でもって、なお自分の崩壊を支えねばならない、というのだ。これが彼の「ほんとうのこと」でなくてなんなのだろうか。


最後に。
物語は二つの詩を中心に動いていく。
一つは、T.S.エリオットの『荒地』四章「水死」(深瀬基寛訳)。

海底の潮の流れが
ささやきながらその骨を拾った。浮きつ沈みつ
齢と若さのさまざまの段階を通り過ぎ
やがて渦巻きにまき込まれた。

もう一つは、古義人とその母の共作の詩。

コギーを森に上らせる支度もせず
川流れのように帰って来ない。
雨の降らない季節の東京で
老年から 幼年時まで
逆さまに 思い出している。

もちろんこの詩が、全体を貫くテーマとして、首尾一貫した働きを持ち、常に読者の頭の中で反芻され味わい深いものになっていくことは言うまでもないのだ。

435p
総計32799p

他に読んではる人
http://d.hatena.ne.jp/ao-2/20091229
http://d.hatena.ne.jp/ougon_teishoku/20091229