'10読書日記36冊目 『全体主義』エンツォ・トラヴェルソ

全体主義 (平凡社新書)

全体主義 (平凡社新書)

229p
総計9835p

こういう本が新書で出るということはすばらしいことだと思う。ジジェクの『全体主義概念の(誤)使用』しかり、アレント全体主義の起原』しかり、もう一度二十世紀に起きた根源悪としての「全体主義」を振り返ってみる必要があるのではないか。そしてそれは同時に、二十世紀の反-全体主義を標榜していた自由主義、民主主義、資本主義に別な角度から接近する視座を与えるように思われる。

本書によれば、「全体主義」という言葉は、あらゆる陣営から、あらゆる意味を内包するような形で用いられてきた。自らの思想的敵対者を批判するために、間に合わせ的に作られた概念として発展してきたのだ。それはファシズム、ナチズム、ボルシェビズム(スターリニズム)を一緒くたにして、曖昧化し、ただその独裁制と残虐性の共通において、それらを廃絶しようとするために用いられたのである。しかし、トラヴェルソは、歴史家ならではの見方から、これら三つの全体主義の形態を精緻に分析し比較することを提案する。例えば、本書で明らかになるのは、ナチズムとスターリニズムの啓蒙をめぐる観点である。前者が反啓蒙の名において虐殺を行ったのに対し、後者は啓蒙を全うするために虐殺を行った。

つまるところ、こういった全体主義概念の曖昧な使用によって隠蔽されるのは、自由主義のイデオローグ的性格である。冷戦下で盛んになった全体主義概念による反共批判は、同時に自由主義アメリカやイギリスの帝国主義的振る舞いを隠蔽し、正当化する道具になってしまったのである。主に保守の側からなされたこの反共キャンペーンとしての全体主義批判は、また、ナチズムが反革命としての革命(保守革命)であったことも忘れさせる。そこには確かに民族的イデオロギーがあったのであり、そのことをバズ・ワード化した「全体主義」は、覆い隠してしまうのである。